ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

かぐや姫 月を見て泣く

 そんなふうにして、3年くらい、お互い文通をずっと続けていたんだけど、その年の春の始めあたりから、かぐや姫の様子が、ちょっと変わっていって、月が綺麗に出ているのを眺めては、何か考え事をするようになったんだよね。それをみて、
「月を眺めているのは、縁起の悪いことなんですよ」
と、かぐや姫をたしなめる人もいたんだけど、そう言われているにも関わらず、かぐや姫は、人のいないときに、こっそりと月を眺めては、シクシクとずっと泣きどおし。そして、そうやって過ごしているうちに7月の15日になり、その夜の満月を眺めているときの顔が、何か、すごく真剣に物事を考えているように見えたんだって。

 それで、そのかぐや姫の様子を心配して、側で仕えている人が爺さんに
「いつものように、かぐや姫が月を眺めているときのことなんですが、その様子が、最近、ただ事では無いような気がします。どうやら、酷く泣いている事もあるようです。ちょっと様子を見てあげてくれませんか?」
と言うと、爺さんも気になって、かぐや姫に直接、
「なあ、かぐや姫よ。私は、嫁にも行かず、宮仕えもせず、おまえの望み通りに幸せに暮らしていると思っているんだよ。それを、月を見て泣いていることもあるんだろう? いったい、どういう気持ちで、月を眺めながら、考え事をしているんだい? 何か、困ったことや悩んでいることがあったら、私に話してくれないか?」
と聞いたんだよね。でも、かぐや姫
「あら、心配しないでくださいませ。月を見ていると、世の中の事すべてが、頼りなく哀れに感じるだけなのです。決して、困ったことや悩んでいることなど、ございませんわ」
との返事。それで、爺さん、実際にかぐや姫が部屋で月を眺めている様子をこっそり覗いてみると、やっぱり、何か心配事があるような気配。それで、爺さん、
「なあ、私の大事な大事な仏様のかぐや姫、何をそんなに悩んでいるのか、考えていることは何なのか、私にも、是非、教えてくれないか?」
と、切に訴えたんだけど、かぐや姫は以前と同じように、
「あら、何でもございませんことよ。そんな悩みは全然ありません。ただ、月を見ていると、何となくもの悲しくなるだけ、それだけのことです」
と言うだけ。
「それなら、月を見るのを止めてくれないか。月を見ているおまえを見ると、何か悩み事があるのではないかと、周りの者が非常に心配してしまうから」
と、爺さんがお願いしてみても、
「でも、月が出ていると、どうしても見たくなってしまうのよ」
と取り合わず、その後もずっと月を見続けていたんだって。それも、夕方、薄暗くなるくらいまでは、まったく何でもないのに、月が出ると、それを見た途端に急に考え事を始めたり、ときには、激しく泣いたりして、側で仕えている人たちも
「やっぱり、何かあるのよ」
と囁きあったんだけど、結局、爺さん・婆さんも、周りの者たちも、何で泣いているのかは全然、分からなかったんだって。

<ワンポイント解説>
 やはり、かぐや姫、ここに来ても、シラを切り通してしまんですね。それから、訳では「仏のような私のかぐや姫」と訳している部分ですが、ここ、原文では「あが仏」となっていて、かぐや姫を「仏」と呼んでいます。ここの部分「爺さん、かぐや姫に結婚を勧める」の内容と照らし合わせてみてください。ここでは「仏とか神のように思っていた」と言う内容が出てきますが、ここでは実際に「仏」と呼んでしまっているんですね。

<参考用原文>
 かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年ばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。 ある人の、
「月の顔見るは、忌むこと」
と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。七月十五日の月に出で居て、切にもの思へる気色なり。

 近く使はるる人々、竹取の翁に告げて言はく、
かぐや姫、例も月をあはれがり給へども、この頃となりては、ただ事にも侍らざめり。いみじくおぼし嘆くことあるべし。よくよく見奉らせ給へ」
と言ふを聞きて、かぐや姫に言ふやう、
「なんでふ心地すれば、かく、ものを思ひたるさまにて、月を見給ふぞ。うましき世に」
と言ふ。 かぐや姫
「見れば、世間心細くあはれに侍る。なでふものをか嘆き侍るべき」
と言ふ。かぐや姫の在る処に至りて見れば、なほもの思へる気色なり。これを見て、
「あが仏、何事思ひ給ふぞ。おぼすらむこと何事ぞ」
と言へば、
「思ふこともなし。ものなむ心細くおぼゆる」
と言へば、翁、
「月な見給ひそ。これを見給へば、ものおぼす気色はあるぞ」
と言へば、
「いかで月を見ではあらむ」
とて、なほ、月出づれば、出で居つつ、嘆き思へり。
 夕闇には、ものを思はぬ気色なり。月のほどになりぬれば、なほ、時々はうち嘆き泣きなどす。これを、仕ふ者ども、
「なほものおぼすことあるべし」
とささやけど、親を始めて、何とも知らず。


帝、宮中に帰ってもかぐや姫のことばかり

 すると、その元に戻った姿を見た帝、かぐや姫の美しさにメロメロ。こんなステキな女に会わせてくれた爺さんに感謝感激だったんだけど、その爺さんはどうしていたかと言うと、帝に同行してきた大勢の人たちのもてなしを、一生懸命していたんだって。


 ただね、帝も「帰る」と約束はしたものの、かぐや姫をこのままこの家に置いて帰るのが、悔しくて「残念だ、ああ、本当に残念だ~」とそればかり口にしていて、帰り道では、心すでにここにあらず。まるで、かぐや姫の所に魂を置いてきてしまったようにボーっとしてしまったんだって。
 そして、その車に乗っているときに
(あなたの魅力のせいで、帰り道でも振り返ってはため息、振り返ってはため息なんですよ)
と和歌を送ったら、さすがに今まで全く返事を書かなかったかぐや姫も、帝にだけは
(卑しい育ちの私が、お后になるなんて、そんなのもったいなさ過ぎます)
とすぐに返事の和歌を返したんだって。すると、それを見た帝「思い切って、このままかぐや姫の所に戻って、宮中には帰らないことにしようか」なんて迷ったんだけど、でも、仕事もあるし、爺さんの家で一晩過ごすこともできないと思って、渋々、宮中に帰ったんだってさ。

 それからというもの、帝は、宮中に戻って自分にお仕えする女の人たちを見ても「かぐや姫に比べたら、みんなパッとしないよな~」なんて思ったり、今まで「この女は、他の女よりもずっと美人だぞ」と思っていた人でも、すぐにかぐや姫と比べて「同じ女でも、どうしてこんなに違うんだろう」なんて思ったり、もう、寝ても醒めてもかぐや姫の事ばかりで、他の女の人には一切会わず、かぐや姫と文通することだけを楽しみに一人で過ごすようになっていったんだって。


 かぐや姫も、さすがに帝ということもあり、また、今までの男のように嘘はつかず、約束をきちんと守ってくれたこともあって、帝にだけは、手紙に季節の木や草花の飾りをつけて丁寧に返事をしていたんだってさ。

<ワンポイント解説>
 ここまでで、かぐや姫の恋愛にまつわる話は終了です。このあとから、皆さんご存じの「月に帰るシーン」になります。

<参考用原文>
 帝、なほめでたくおぼし召さるることせきとめ難し。かく見せつる造麻呂を悦び給ふ。さて、仕うまつる百官の人に、あるじいかめしう仕うまつる。 帝、かぐや姫を留めて還り給はむことを、飽かず口惜しくおぼしけれど、たましひを留めたる心地してなむ、還らせ給ひける。御輿に奉りて後に、かぐや姫に、
「還るさのみゆき ものうく思ほえて そむきてとまる かぐや姫ゆゑ 」
 御返事を、
「むぐらはふ 下にも年は 経ぬる身の 何かは玉の うてなをも見む 」
 これを帝御覧じて、いとど還り給はむそらもなくおぼさる。御心は、更に立ち還るべくもおぼされざりけれど、さりとて、夜を明かし給ふべきにあらねば、還らせ給ひぬ。

 常に仕うまつる人を見給ふに、かぐや姫の傍らに寄るべくだにあらざりけり。異人よりはけうらなりとおぼしける人の、かれにおぼしあはすれば人にもあらず、かぐや姫のみ御心にかかりて、ただ一人住みし給ふ。由なく御方々にもわたり給はず、かぐや姫の御もとにぞ、御文を書きて通はさせ給ふ。
 御返りさすがににくからず聞こえ交わし給ひて、おもしろく木草につけても御歌を詠みて遣はす。

帝、爺さんと秘密の計画を練る

 そして、しばらく思案していた帝は、
「そう言えば、そなたの家は、山の麓近くであろう。それならば、狩りに行くふりをして、そなたの家の近くまでいって、そのときにかぐや姫に直接会ってみるというのはどうだ?」
と言うと、爺さんも
「おお、それは素晴らしい考えです。かぐや姫が油断しているときに、不意をついて会いに行けば、きっと会えるでしょう」
と帝の提案に大満足。それで帝は、すぐに日にちを決めて、狩りに出かけることにしたんだって。

 そうして、狩りの当日。
 帝は爺さんと練った作戦通り、こっそり爺さんの家に入ってかぐや姫の部屋の近くまで行くと、体から光を放っている美しい女の人がいたので「これが、かぐや姫だな」と思って、そのまま部屋の中に入っていったのさ。すると、急に男の人が入ってきてビックリしたかぐや姫は逃げようとしたんだけど、それより先に帝がかぐや姫の袖をしっかり掴んで離さない。それで、かぐや姫は見られないようにと、もう一方の袖で顔を隠したんだけど、帝は、入ってきたときに、すでにかぐや姫の顔をしっかり見ていて「なんて美人だ。もう、これ以上の女の人はいない」と一目惚れ。だから、かぐや姫
「もう、逃がしませんよ」
と言って、そのまま体を抱きかかえて宮中に連れていこうとしたんだって。すると、かぐや姫
「私が、この国に生まれた者でしたら、あなたに仕えたと思いますわ。けれども、私は、この国の者ではないんですのよ。ですから、私をお召しになるのは、難しいと思いますわ」
と落ち着いた口調で言うと、それを聞いた帝は
「何がそんなに難しいのだ。さあ、このまま連れて行くぞ」
と言って「おい、車を頼む」と従者に告げたら、その途端、かぐや姫の体がスッと消えて、残っているのは、薄く透き通った淡い光だけ。手を伸ばしても、その光の中を手が通り過ぎるだけになってしまったんだって。それを見て「かぐや姫の言う難しいとはこういう事だったのか」と気づき、これではいくらなんでも連れていくのは無理と悟った帝は
「そうか、そなたは、本当に人間では無かったのだな・・・・残念だが、連れていくのは止めよう。ただ、お願いだ。もう一度、元の姿に戻ってくれないか。その姿を見て、私はここから去っていこうと思う」
と言うので、かぐや姫は、またスッと、元の姿に戻ったんだって。

<ワンポイント解説>
 かぐや姫が帝に連れ去られないように消えるシーンですが、ここで古文として問題になっているのは「影」という単語。原文では「かぐや姫、きと影になりぬ」なんですが、ここで出てくる「影」をどのように解釈するかで、いろいろな説があります。


 ここでは、かぐや姫は「月の世界の住人」であり、月の淡い光を「月影」ということから、このときは「月のような淡い光になった」という解釈で訳しています。他の訳では違う解釈になっているものもありますから、気になる人は調べてみてください。

<参考用原文>
 帝仰せ給はく、
「造麻呂が家は山本近かなり。御狩りの行幸し給はむやうにて見てむや」
とのたまはす。造麻呂が申すやう、
「いとよきことなり。何か心もなくて侍らむに、ふと行幸して御覧ぜむ。御覧ぜられなむ」
と奏すれば、帝にはかに日を定めて、御狩りに出で給うて、かぐや姫の家に入り給うて見給ふに、光満ちて清らにて居たる人あり。
「これならむ」
とおぼして、逃げて入る袖をとらへ給へば、面をふたぎてさぶらへど、初めよく御覧じつれば、類なくめでたくおぼえさせ給ひて、
「許さじとす」
とて、率ておはしまさむとするに、かぐや姫答へて奏す、
「おのが身は、この国に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ。いと率ておはしまし難くや侍らむ」
と奏す。帝、
「などかさあらむ。なほ率ておはしまさむ」
とて、御輿を寄せ給ふに、このかぐや姫、きと影になりぬ。はかなく、口惜しとおぼして、
「げにただ人にはあらざりけり」
とおぼして、
「さらば御供には率ていかじ。もとの御かたちとなり給ひね。それを見てだに還りなむ」
と仰せらるれば、かぐや姫もとのかたちになりぬ。

帝の命令でもダメ

 それで房子も、やむを得ず、一度戻って帝にその経緯を話すと、帝もそれを聞いて
「そのような性根をしている女なら、死人が出るというのもの納得できるわ」
と、一旦、かぐや姫の所に人を使わすのを止めたんだけど、でも「このままじゃ、私の方が負け、という気がするな」と、どうしても気になってしまってしょうがない。それで、竹取の爺さんを宮中に呼んで、
「おまえの所にいるかぐや姫を宮中に仕えさせなさい。美人だと言う話を聞いて、使いの者を遣わしたけれど、一向に埒があかず、結局、会うことも出来なかったのだ。私の命に背くなどもってのほか。私の手元に置いて、一度、懲らしめてやらねばならぬ」
と、帝が爺さんに厳しく言うと、爺さんもその勢いに押され、平伏して
「なんとも、私としても、この子が宮仕えを嫌がることに、ほとほと手を焼いております。しかしながら、帝の仰せとあらば、もう一度、私の方からかぐや姫に話してみようと思います」
と答えたんだよね。すると、それを聞いた帝は
「なるほど、そなたが育てた子であるのに、そなたでも思うようにならんのか。それほど頑固な娘なのか」
と、しばし絶句。そこで、爺さんに
「よし、それでは、もしも、かぐや姫を宮中に仕えさせることが出来たならば、褒美としてそなたに位を授けよう」
とまで言いだしたんだ。すると、それを聞いた爺さんは、大喜びで家に帰って、すぐ、かぐや姫
「帝は、こんな風におっしゃってくれたぞ。それでもまだ、宮仕えを断るのかい?」
と言うと、かぐや姫は思い詰めた様子で、
「宮仕えなどしたくないとあれほど言っていますのに、無理矢理、宮仕えをしろというのなら、いっそのこと、私は消えてしまおうと思います。お爺さまが位を欲しいというのなら、今まで育ててくださったご恩返しとして、一旦、宮中に仕え、お爺さまが位をもらってから、そのあと死にましょう」
と、今までにない丁寧な口調でそう言うと、爺さんも
「いやいや、なんて言うことを言う。位などもらっても、おまえがいなくなってしまっては意味がない」
と慌てて首を横に振りながら、かぐや姫をなだめると、
「でもな、実際に、宮仕えをしてみたら、そんな『死にたい』などと言う気持ちは無くなってしまうと思うぞ」
と優しく諭すように言ったんだよね。でも、かぐや姫
「それなら、実際に仕わせてみてください。私の言っていることが嘘じゃないことがお分かりになると思いますから。今まで、多くの人が本当に熱心に結婚を申し込んで来たのを全部、無理を言って断っているのですよ。それなのに、昨日、今日、帝がおっしゃったからと言って、すぐに宮仕えをしてしまうと、周りの人になんと言われるか、お分かりでしょう?」
と、毅然と言い返してきたので、爺さん「こりゃ、ホントに死ぬ気だぞ」と思って、
「いやいや、周りの人の言うことなんか、どうであろうと問題じゃない。そんなことより、おまえに死なれては元も子もない。分かった、もう一度、帝にお断りをしてこよう」
と、かぐや姫の説得を諦め、断りの話をしにもう一度宮中に向かって行ったんだって。そして、帝に会って
「おそれ多くも、帝が私に直接おっしゃってくださった事ですから、何とかしてかぐや姫に宮仕えをさせようと説得しましたら『宮仕えをするのであれば、私は死にます』とまで申すのです。実は、かぐや姫は、私の実の子ではないばかりではなく、昔、竹を取りに行った山の中で、竹の中で光っていたのを私が見つけてきた子なのです。ですから、私たちのような普通の人間ではありません。そのせいか、普通の人間の考え方とは全く違う考え方をしておりまして。それで、大変申し上げにくいのですが、このたびの宮仕えの話は無かったことにしていただけませんか」
と言うのを聞いて、帝も「この爺さんでもダメなのか」と、考え込んでしまったんだってさ。

<ワンポイント解説>
 ここで、かぐや姫のセリフの中で「無理矢理、宮仕えをしろと言うのなら、いっそ、消えてしまおうと」という部分がありますが、原文でも「消える」なんです。それで、この「消える」には、もちろん「死ぬ」という意味があるのですが、この後、かぐや姫が「影になって消える」シーンが出てきますから、ここでは、その後々のシーンを促すように「消える」という言葉を使ったのではないかと思っています。

<参考用原文>
 この内侍帰り参りて、この由を奏す。帝聞こしめして、
「多くの人殺してける心ぞかし」
とのたまひて、止みにけれど、なほおぼしおはしまして、
「この女のたばかりにや負けむ」
とおぼして、仰せ給ふ。
「なんぢが持ちて侍るかぐや姫奉れ。顔かたちよしと聞こしめして、御使ひ賜びしかど、かひなく見えずなりにけり。かくたいだいしくやは習はすべき」
と仰せらるる。翁かしこまりて御返事申すやう、
「この女の童は、絶えて宮仕へ仕うまつるべくもあらず侍るを、もてわづらひ侍り。さりとも、まかりて仰せ給はむ」
と奏す。これを聞こしめして、仰せ給ふ、
「などか、翁の生(お)ほし立てたらむものを、心に任せざらむ。この女もし奉りたるものならば、翁に冠を、などか賜はせざらむ」
 翁、喜びて、家に帰りて、かぐや姫に語らふやう、
「かくなむ帝の仰せ給へる。なほやは仕うまつり給はぬ」
と言へば、かぐや姫答へて言はく、
「もはら、さやうの宮仕へつかうまつらじと思ふを、強ひて仕うまつらせ給はば、消え失せなむず。御官・冠仕うまつりて、死ぬばかりなり」
 翁いらふるやう、
「なし給ひそ。冠も、我が子を見奉らでは、何にかはせむ。さはありとも、などか宮仕へをし給はざらむ。死に給ふべきやうやあるべき」
と言ふ。
「なほそらごとかと、仕うまつらせて、死なずやあると見給へ。あまたの人の、志おろかならざりしを、空しくなしてこそあれ、昨日今日帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし」
と言へば、翁、答へて言はく、
「天下のことは、とありとも、かかりとも、御命の危ふさこそ大きなる障りなれば、なほ仕うまつるまじきことを、参りて申さむ」
とて、参りて申すやう、
「仰せの事のかしこさに、かの童を参らせむとて仕うまつれば、『宮仕へに出だし立てば死ぬべし』と申す。造麻呂が手に産ませたる子にてもあらず。昔、山にて見つけたる。かかれば心ばせも世の人に似ず侍る」
と奏せさす。

帝、ついに動き出す

 さて、そんなことをしているうちに「その辺の女なんて及びもしない、絶世の美女がいる」という噂は帝が耳にするまでにひろまってしまい、その話を聞いて、帝も
「なんでも、多くの男が会いたい一心で、ついには身を破滅させてしまったという『かぐや姫』という非常に美しい女がいるという話だが、いったいどんな女なんだ。ちょっと調べてきてくれないか」
と、帝のお世話をする、今で言う秘書的立場の房子という女に命じると、房子は
「承知いたしました」
と、調査のために、すぐにかぐや姫の家に向かって行ったんだって。

 そして、房子がかぐや姫の家に着いたら、サッと婆さんが出てきて
「わざわざ、ようこそいらっしゃいました」
と、帝の使いでもあるので、すごく丁寧にお出迎えをしたんだよね。すると房子は婆さんに、
「帝から『かぐや姫という絶世の美女がいるというのだが、どのような女なのか調べてこい』と仰せつかってこちらに参りました。それで、かぐや姫に直接、お会いさせていただきたいのですが」
と、ものすごく丁寧な口調で言ってきたので、婆さんは
「はい、承知いたしました。その事をかぐや姫に伝えて参りますので、少々、お待ちください」
と言って、かぐや姫の部屋に行き、使いの者からの伝言を伝え、
「帝のお使いが来たから、ちょっと会ってお話してちょうだい」
かぐや姫に言ったんだけど、かぐや姫
「だって、私、そんなに美人じゃないんですもの。それなのに、どうして、会わなくてはならないんですの?」
と、いつものように拒絶。すると、婆さん
「いや~、そんな情けない事を言わないで。帝のお使いですもの、会わない訳にいかないでしょう、ね?」
と言って説得するんだけど、
「帝のお妃になることなど、いいことだとは思いませんもの」
と、かぐや姫は、絶対会おうとはしなかったんだって。婆さんは、かぐや姫を自分の生んだ子のように思って今まで育てて来たけれども、今ではもう気品も出てきていて、話の口調も凛としていて、さらには、他人行儀な物の言い方。「あ、この子、こういう態度を取っているときは、もう、説得できないわ」と思って、使いの房子の方へ戻っていくと
「まことに申し訳ございませんが、うちの子、まだ子供で頑固なものですから、お会いしたくないと申しております」
と、本当に申し訳なさそうに、房子に言ったんだって。すると、房子も
「帝からは、必ず、かぐや姫に会って様子を見て参れと仰せつかっております。ですから、私としても、実際に会わずに帰る訳には参りません。それに、国王の帝がおっしゃっているのです。その命令に背く者など、この国にはいないでしょう。ですから、言われた通りにしていただけませんか」
と、優しくも優雅に気品に溢れた調子でそう言うと、婆さんも、その様子に気後れして、もう一度、かぐや姫に話をしたんだけど、結局、かぐや姫は、その話を聞いても
「国王の命令に背くなというのなら、どうぞ、私を殺してください」
とまで言って、頑として会わなかったんだってさ。

<ワンポイント解説>
 「天皇」というのは、本来「死んでからつけられる名前」で、生きているうちは、当時は「帝」と言われていました。また、房子の役職は「内侍(ないし)」。帝の身の回りのお世話をする女性の役職ではトップクラスと思ってください。
 そして、ここでは「気品がある」という話が出てきていますが、原文では「恥ずかし」。今で言う「恥ずかしい」という意味の他に「相手が立派で、こちらが気後れしてしまう」という意味もあります。
 そして、今まで出てきた5人は「壬申の乱」に功績があった人たちが中心ですから、そうすると、ここに出てくる天皇は、この壬申の乱の時に大友皇子に勝って実権を取った「天武天皇」ではないか、なんて考えてしまいますよね。

<参考用原文>
 さて、かぐや姫、かたちの世に似ずめでたきことを、帝聞こしめして、内侍中臣房子にのたまふ、
「多くの人の身を徒らになしてあはざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見て参れ」
とのたまふ。房子、承りてまかれり。

 竹取の家に、かしこまりて請じ入れて、会へり。媼に内侍のたまふ、
「仰せ言に、かぐや姫のかたち優におはすなり。よく見て参るべき由のたまはせつるになむ参りつる」
と言へば、
「さらば、かく申し侍らむ」
と言ひて入りぬ。かぐや姫に、
「はや、かの御使ひに対面し給へ」
と言へば、かぐや姫
「よきかたちにもあらず、いかでか見ゆべき」
と言へば、
「うたてものたまふかな。帝の御使ひをばいかでかおろかにせむ」
と言へば、かぐや姫答ふるやう、
「帝の召してのたまはむこと、かしこしとも思はず」
と言ひて、更に見ゆべくもあらず。産める子のやうにあれど、いと心恥づかしげに、おろそかなるやうに言ひければ、心のままにもえ責めず。嫗、内侍のもとに帰り出でて、
「口惜しくこの幼き者はこはく侍るものにて、対面すまじき」
と申す。 内侍、
「かならず見奉りて参れと仰せ言ありつるものを、見奉らではいかでか帰り参らむ。国王の仰せ言を、まさに世に住み給はむ人の、承り給はでありなむや。言はれぬことなし給ひそ」
と、詞恥づかしく言ひければ、これを聞きて、ましてかぐや姫聞くべくもあらず。
「国王の仰せ言を背かば、はや殺し給ひてよかし」
と言ふ。

石上麻呂足、ついにあの世へ

 それで、石上麻呂足、自分の取ってきたものが貝じゃないと分かって、酷く落ち込んで、完全に体から力が抜けてしまったんだって。おまけに、側にあった大きな箱の蓋を担架がわりにして、周りの人が運んでいこうとしたんだけど、麻呂足は全然体を動かすことが出来ずに、それに乗ることすら出来なくなっていたんだよね。それで、よくよく調べてみると、なんと腰の骨が折れていたんだって。


 それから、麻呂足は「こんな子供っぽい事をして、しまいにはこの有様。こんなこと、他の人には恥ずかしくて絶対に知られたくない」と思い、その事ばかり気にして過ごしているうちに、ついに病気になってしまって、その病気もどんどん悪化していってしまったのさ。そして、そんな重い病気になってからも、まだ「『貝を取れなかった』くらいならまだしも『失敗して落っこちて怪我をしてしまった』と言うことを知られて笑われるのは耐えられない」と、そのことばかり考えて「これを知られたら、普通に病気で死ぬよりも絶対情けない」と、ずっと気に病み続けていたんだって。

 すると、かぐや姫が、麻呂足が病気になっているということを聞いて、お見舞いに
子安貝なら、いつまでも待っていてもしょうがないと人から聞いたんだけど、ホント?)
と書いた和歌を送ったら、麻呂足、それを人に読んでもらって聞いた途端、頭をもたげて、人に筆と紙を持ってこさせると、
(貝はなかったけど、あなたから手紙をもらって苦労した甲斐がありました。でも、この手紙でも私の命は救えないでしょう)
と、体の自由が利かず苦しい思いをしながらも、ようやく手紙を書いてその手紙を部下に預けると、そのまま息が絶えてしまったんだってさ。そして、手紙を持っていった部下から、この話を聞いて、さすがのかぐや姫も「ちょっと可哀想だったわね」と思ったらしいよ。


 それで、石上麻呂足がかぐや姫から手紙をもらったことのように、ちょっと嬉しいことがあったりしたときは「甲斐あり」ってい言うようになったんだってさ。なんちゃって~。

<ワンポイント解説>
 当時は「恥」というのを大変恐れていて「恥をかくくらいなら、死を選ぶ」という感覚だったようです。戦国時代の武将なども「敵に首を取られてさらし者にされ、恥をかかされるくらいなら」と言って自害した者がいましたが、この「恥」の感覚は、後の時代にもずっと残っていきます。
 ですから、原文でも「恥よりも死を選ぶ」という内容は、何度も出来ますよね。


 また、担架がわりに使った箱の蓋というのは、原文では「唐櫃の蓋」。服や食器などを入れておく箱だったそうです。イメージとしては、お宝探しのテレビ番組で、倉や倉庫の中を探していると、古めかしい木で出来た大きな箱があったりしますよね。そんな感じのものと思ってください。

<参考用原文>
 貝にもあらずと見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃のふたの入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言は、わらはげたるわざして止むことを、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にて、いと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを、日にそへて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥づかしくおぼえ給ふなりけり。

 これをかぐや姫聞きて、とぶらひにやる歌、
「年を経て 波立ち寄らぬ 住の江の まつかひなしと 聞くはまことか 」
とあるを読みて聞かす。いと弱き心に頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地にからうして書き給ふ。
「かひはかく ありけるものを わび果てて 死ぬる命を すくひやはせぬ 」
と書き果つる、絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、「少しあはれ」とおぼしけり。それよりなむ、少しうれしきことをば、「かひあり」とは言ひける。

石上麻呂足、自分で籠に乗る

 さて、夜になって食糧倉庫に来てみると、倉津麻呂の言うとおり、本当に燕が巣を作っていて、その巣の中でクルクル回っている燕がいるのが見えたから、麻呂足は、すぐに部下を籠に乗せ、その籠を上まで引っ張りあげて、巣の中に手を入れて子安貝を探させたんだよね。でも、部下は
「何もありません」
としか言わないので、
「おまえ、しっかり探してないからだろ」
と言って「誰もみな、要領の悪いやつばかりでダメだ」と癇癪を起こし、
「もういい。私が籠に乗って自分で探す」
と、自ら籠に乗り込んで引っ張り上げてもらったんだって。すると、ちょうど、籠が上に着いて燕の巣を覗いたタイミングで、燕が尾をピンと上に持ち上げて回り出したから、手をそっと差し入れて巣の中を探ると、貝のような平たいものが手に触ったんだよね。それで、麻呂足は「やった、これだ」と思って、それを掴み、
「よし、取ったぞ。さあ、早く籠を降ろせ。ほら、倉津の爺さん、やったぞ!」
と下にいる倉津麻呂や部下たちに向かって叫んだんだって。すると、部下達が、みんな集まってきて綱をつかみ、
「さあ、早く降ろせ~!」
と、籠に着けていた綱を勢い良く降ろしたら、その勢いで綱が切れちゃって、麻呂足は下に置いてあった大きな釜の中に落っこちちゃったのさ。
 それで、周りの人は「こりゃ、大変な事になったぞ」と思い、釜の側に駆け寄って麻呂足を抱えて起こそうそうとしたんだけど、麻呂足は気絶していて白目を剥いちゃっていてね、それで、とりあえず意識を回復させるのに水を飲ませると、ようやく息を吹き返したから、釜の上から手や足を持ち上げてそっと降ろしたんだって。そして、部下が
「気分はどうですか?」
と様子を聞いてみると、かろうじて聞き取れるくらいの細い声で
「う~ん、意識は幾分ハッキリしてきたが、何せ、腰が全く動かせない。けれど、子安貝を取ったことは、とても嬉しく思うぞ。それでな、この貝を見てみようと思うから、まず、ロウソクを持ってきてくれないか」
と言うと、部下がすぐにロウソクを持ってきて麻呂足の手元を明るくしてくれたんだって。それで、腰が動かないから、とりあえず頭だけ起こして、その手にあるものを見てみると、そこにあったのは「貝」じゃなくて、干からびてコロコロになった「燕のフン」。
 それを見て、石上麻呂足、
「ありゃ、貝じゃないぞ、これ」
とガックリ。
 それで、この「貝無し」から、一生懸命やっても、物事がうまく行かない事を「甲斐なし」と言うようになったんだって。なんちゃって~。

<ワンポイント解説>
 ここで出てくる「大きな釜」は原文では「八島の鼎」。「鼎」というのは、三つ足がついた釜なのですが、ここに「八島」がついて「八島の鼎」となると、台所の神様に供えておくお守りのようなものだったそうです。
 また「なんちゃって解説」は「かひなし」の掛詞。この掛詞は、結構、分かりやすいのではないでしょうか。
 それから、燕というのは「集まって巣を作る」という習性があるんだそうです。ですから、ここで言う食糧倉庫のような巣を作るのに適している場所には、たくさんの燕が集まってきて、軒下のようなところにビッシリ巣を作ることもあるんだそうです。そう言う意味では、ちゃんと理にかなってますよね。

<参考用原文>
 日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、誠、燕巣つくれり。倉津麻呂申すやう、尾浮けてめぐるに、粗籠に人をのぼせてつり上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、
「物もなし」
と申すに、中納言
「悪しく探ればなきなり」
と腹立ちて、
「誰ばかりおぼえむに」
とて、
「われ登りて探らむ」
とのたまひて、籠に乗りてつられ上りてうかがひ給へるに、燕尾を捧げていたくめぐるに合はせて、手を捧げて探り給ふに、手にひらめる物さはる時に、
「われ物握りたり。今は下ろしてよ。翁、しえたり」
とのたまひて、集まりて、「疾く下ろさむ」とて、綱を引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、八島の鼎の上にのけざまに落ち給へり。
 人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目は白眼にて臥し給へり。人々、水をすくひ入れ奉る。からうして生き出で給へるに、また鼎の上より、手取り足取りしてさげ下ろし奉る。からうして、
「御心地はいかがおぼさるる」
と問へば、息の下にて、
「ものは少しおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、脂燭さして来。この貝、顔見む」
と御頭もたげて御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。
 それを見給ひて、
「あな貝なのわざや」とのたまひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、「かひなし」と言ひける。