ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

石上麻呂足、自分で籠に乗る

 さて、夜になって食糧倉庫に来てみると、倉津麻呂の言うとおり、本当に燕が巣を作っていて、その巣の中でクルクル回っている燕がいるのが見えたから、麻呂足は、すぐに部下を籠に乗せ、その籠を上まで引っ張りあげて、巣の中に手を入れて子安貝を探させたんだよね。でも、部下は
「何もありません」
としか言わないので、
「おまえ、しっかり探してないからだろ」
と言って「誰もみな、要領の悪いやつばかりでダメだ」と癇癪を起こし、
「もういい。私が籠に乗って自分で探す」
と、自ら籠に乗り込んで引っ張り上げてもらったんだって。すると、ちょうど、籠が上に着いて燕の巣を覗いたタイミングで、燕が尾をピンと上に持ち上げて回り出したから、手をそっと差し入れて巣の中を探ると、貝のような平たいものが手に触ったんだよね。それで、麻呂足は「やった、これだ」と思って、それを掴み、
「よし、取ったぞ。さあ、早く籠を降ろせ。ほら、倉津の爺さん、やったぞ!」
と下にいる倉津麻呂や部下たちに向かって叫んだんだって。すると、部下達が、みんな集まってきて綱をつかみ、
「さあ、早く降ろせ~!」
と、籠に着けていた綱を勢い良く降ろしたら、その勢いで綱が切れちゃって、麻呂足は下に置いてあった大きな釜の中に落っこちちゃったのさ。
 それで、周りの人は「こりゃ、大変な事になったぞ」と思い、釜の側に駆け寄って麻呂足を抱えて起こそうそうとしたんだけど、麻呂足は気絶していて白目を剥いちゃっていてね、それで、とりあえず意識を回復させるのに水を飲ませると、ようやく息を吹き返したから、釜の上から手や足を持ち上げてそっと降ろしたんだって。そして、部下が
「気分はどうですか?」
と様子を聞いてみると、かろうじて聞き取れるくらいの細い声で
「う~ん、意識は幾分ハッキリしてきたが、何せ、腰が全く動かせない。けれど、子安貝を取ったことは、とても嬉しく思うぞ。それでな、この貝を見てみようと思うから、まず、ロウソクを持ってきてくれないか」
と言うと、部下がすぐにロウソクを持ってきて麻呂足の手元を明るくしてくれたんだって。それで、腰が動かないから、とりあえず頭だけ起こして、その手にあるものを見てみると、そこにあったのは「貝」じゃなくて、干からびてコロコロになった「燕のフン」。
 それを見て、石上麻呂足、
「ありゃ、貝じゃないぞ、これ」
とガックリ。
 それで、この「貝無し」から、一生懸命やっても、物事がうまく行かない事を「甲斐なし」と言うようになったんだって。なんちゃって~。

<ワンポイント解説>
 ここで出てくる「大きな釜」は原文では「八島の鼎」。「鼎」というのは、三つ足がついた釜なのですが、ここに「八島」がついて「八島の鼎」となると、台所の神様に供えておくお守りのようなものだったそうです。
 また「なんちゃって解説」は「かひなし」の掛詞。この掛詞は、結構、分かりやすいのではないでしょうか。
 それから、燕というのは「集まって巣を作る」という習性があるんだそうです。ですから、ここで言う食糧倉庫のような巣を作るのに適している場所には、たくさんの燕が集まってきて、軒下のようなところにビッシリ巣を作ることもあるんだそうです。そう言う意味では、ちゃんと理にかなってますよね。

<参考用原文>
 日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、誠、燕巣つくれり。倉津麻呂申すやう、尾浮けてめぐるに、粗籠に人をのぼせてつり上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、
「物もなし」
と申すに、中納言
「悪しく探ればなきなり」
と腹立ちて、
「誰ばかりおぼえむに」
とて、
「われ登りて探らむ」
とのたまひて、籠に乗りてつられ上りてうかがひ給へるに、燕尾を捧げていたくめぐるに合はせて、手を捧げて探り給ふに、手にひらめる物さはる時に、
「われ物握りたり。今は下ろしてよ。翁、しえたり」
とのたまひて、集まりて、「疾く下ろさむ」とて、綱を引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、八島の鼎の上にのけざまに落ち給へり。
 人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目は白眼にて臥し給へり。人々、水をすくひ入れ奉る。からうして生き出で給へるに、また鼎の上より、手取り足取りしてさげ下ろし奉る。からうして、
「御心地はいかがおぼさるる」
と問へば、息の下にて、
「ものは少しおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、脂燭さして来。この貝、顔見む」
と御頭もたげて御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。
 それを見給ひて、
「あな貝なのわざや」とのたまひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、「かひなし」と言ひける。