ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

竹取物語を訳してみて(あとがき)

 この竹取物語、原文の冒頭を見てもらえれば分かると思いますが「今は昔」で始まっていますよね。そして、冒頭が「今は昔」で始まるお話というと、有名なのはやはり「今昔物語」。この今昔物語は、書いてある内容がインドのお話をまとめた「天竺編」や日本のお話をまとめた「本朝編」というように分類されていて、実は、その「本朝篇」の31巻の33話に、この竹取物語の元になったと言われている話が入っているんです。

 それで、その「今昔物語」で書かれている内容と、ここで訳した竹取物語と比べてみると、「今昔物語」の話の中では、爺さんの「讃岐造」という姓は出てこないのですが「竹取の翁」という名前は出てきますし、「竹でいろいろな物を作って生計を立てている」というところは一緒だったりします。また、かぐや姫という名前は出てきませんし、欲しいと望んだものは「雷」「優曇華の花」「叩かなくても音が出る太鼓」の3つ。また、求婚者との細かなやり取りもなく、単に「たくさんの人がけがをしたり死んだりしました」でお終い。さらに、天皇と出会ってすぐ、かぐや姫に当たる女性が姿を消してしまうので「今昔物語」の方は、ここで訳した竹取物語よりも、かなり簡略されたお話になっています。
 そうなると、この「竹取物語」の作者はその「今昔物語」の話に、さらに内容を付け足して新たなお話を作っている訳ですから、元の話の中に出てこない、後から継ぎ足された部分に、この物語を書いた作者の「意図」が散りばめられているのではないか、という視点で訳を進めていくことにしました。
 そう考えると、やはり、「今昔物語」の中には出てこない「5人の求婚者がかぐや姫に懲らしめられる部分」と「月の住人からみると、地球は汚らわしい場所であるという部分」に作者の意図が込められているのだろうと解釈するのが自然だろうと思いましたし、それに、この時代、仏教が浸透していく中で「仏の教えにそぐわない者」が多く目について来たために、そういう人たちを戒めるため、そして、お話自体を読みやすくするために、ギャグっぽい感覚を取り入れて書かれたものなのではないか、とも感じたんです。ですから、その部分を中心に据えた訳にしようと心がけました。
 皆さんは、どのように感じましたか?

 そして、せっかくですから、これをきっかけに、勉強とは別の「普通のお話」として古典に触れていけると、もっと古典が楽しくなるのではないかと思います。ややギャグ傾向のお話として代表的なのは「落窪物語」と「とりかえばや物語」の2つ。
 「落窪物語」は、継母に理不尽ないじめを受けているお姫様がステキな殿方と出会って幸せになるというシンデレラストーリー。途中、エロ爺に言い寄られて、そこから逃げるために、そのエロ爺を寒空の下でずっと待たせていたら、その爺がウ○コをもらしちゃった、なんていうシーンが出てきます。
 「とりかえばや物語」は、同じ年の同じ日に生まれた、見た目がそっくりの女性的な性格の男の子と男性的な性格の女の子が性別を取り替えて過ごすというお話。今で言う「男女が入れ替わっちゃった」系のお話の元祖なんです。当然、性別がバレそうになって苦労するシーンが出てくるわけですよ。
 もしも、興味が持てそうなら、いきなり原文ではなくていいですから、マンガや訳本などで、単にお話として楽しんでみてください。

かぐや姫、月に帰ってしまう

 その手紙に
「このようにたくさんの人をこちらに送られて、月に行くのを引き留めようとしてくださったにも関わらず、それを許さぬ月の使者たちですから、ここから去っていかなければなりませぬが、その事を、とても悔しく、悲しく思っております。帝にお仕えするのをずっとお断りしてきましたが、実は、このような事情があったのです。きっと帝は、このことを知らずに、私を宮中に仕えるようにおっしゃっていたと思いますが、頑なに拒み続けていたことで、私の事を無礼な女であると思っていらっしゃることと存じます。そのことが、私にはとても心残りでございます」
と書いたあと、
(天の羽衣を着る今になってから、帝の事を愛おしく思います)
と和歌を最後に添えてたんだって。そして、その手紙を「不死の薬」の壺につけて、かぐや姫防衛隊の中にいた頭中将(とうのちゅうじょう)を呼び寄せると、月の使者に
「この手紙を頭中将に渡してください」
と頼んだら、月の使者は、さすがに諦めたのか、このときは咎めずに、かぐや姫に言われたとおり、頭中将に渡してくれたんだって。かぐや姫は、それを確認して、天の羽衣をサッと羽織ると、そのとたん、爺さんと別れを悲しんだ事さえ忘れて、何の躊躇もなく、飛ぶ車に乗って、迎えに来た百人あまりと共に、月に帰っていったんだってさ。

 そのあと、爺さんも婆さんも、まるで涙に血が混じってしまうと思われるくらい、かぐや姫に「返って来て欲しい」と泣いて願ったんだけど、もちろんそれは無理。それで、かぐや姫が書き残していった手紙を読んでいると、側にいた人が
「讃岐造さまも、不死の薬をお飲みになってはいかがですか?」
と、勧めてきたんだけど、
「こんな事になって、長生きしたって誰のための長生きなのか。そんなに生きたって、もう、かぐや姫は帰ってこないだろ。だったら、命なんか惜しくない」
と言って、置いていった「不死の薬」を飲もうとせず、ついに、病気になってしまったんだって。

 また、かぐや姫から手紙を預かった頭中将は、みんなを率いて都に帰り、かぐや姫が連れて行かれてしまった顛末を細かいところまでしっかり帝に伝えたんだって。そして、そのときに、壺の薬と手紙を帝に渡すと、その手紙を見た帝は、かぐや姫の事を愛おしく思い、物も食べず、遊興などもパッタリと止めてしまったんだって。
 そして、ある時、大臣たちを呼んで
「どの山が一番、天に近い山だろうか」
と聞くと、大臣の中の一人が
静岡県に高い山がありまして、都から行くのにもちょうど良いかと」
と答えたので、
(もうすでに、会うことが出来ない私には、不死の薬は必要ありません)
と和歌を詠んで、かぐや姫からもらった不死の薬の壺に、今、詠んだ和歌をつけて使いの者に渡し、登山隊の隊長を調石笠(つきのいわかさ)に任命して、その者に、
「静岡の山の頂上まで行き、この手紙と壺を焼いてくれ」
と命じたんだって。
 その命に従って、調石笠が大勢の兵隊を連れて登ったので「不死の薬を焼いた山」から「不死の薬の山」とか「たくさん(富む)の武士が登った山」から「富(武)士の山」というふうに言われるようになって、それで最終的に「富士の山」と言うようになったんだって。なんちゃって~。
 ちなみに、その山の頂上から出ている煙、未だに消えず、かぐや姫のところに届こうと、ずっと雲の方まで昇っていっているんだってさ。

<ワンポイント解説>
 ここで、物語はお終い。それで、最後の「富士山」の語源ですが、原文は「兵どもあまた具して、登りけるよりなむ、その山を『ふじのやま』とは名付けける」だけです。文書をそのまま解釈すると「兵隊がたくさんのぼっていったことから、ふじのやまと名前がついたんですよ」ということで、一般的には「武士がたくさん」から「士が富む」という解釈で「富士の山」と訳しているものが多いようです。中には「不死の薬」を焼いたから「不死の山」とするものや「煙がいつまでも上り続けている」から「煙がつきない」を「煙が不尽」として「不尽の山」がなまったという解釈で訳しているものもあって、いずれにせよ、ここでは、なっちゃって解説なので、皆さんの好きな解釈で訳してみてください。

<参考用原文>
 かくあまたの人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎へまうで来て、取り率てまかりぬれば、口惜しく悲しきこと。宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かく煩はしき身にて侍れば。心得ずおぼし召されつらめども。心強く承らずなりにしこと、なめげなる者におぼしめしとどめられぬるなむ、心にとまり侍りぬる。とて、
「いまはとて 天の羽衣 着る折ぞ 君をあはれと 思ひ出でける 」
とて、壺の薬添へて、頭中将を呼び寄せて奉らす。中将に、天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて百人ばかり天人具して昇りぬ。

 その後、翁嫗、血の涙を流して惑へどかひなし。あの書き置きし文を読みて聞かせけれど、『何せむにか命も惜しからむ。誰が為にか。何ごとも益なし』とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで病み臥せり。
 中将、人々引き具して帰り参りて、かぐや姫をえ戦ひ留めずなりぬる、こまごまと奏す。薬の壺に御文添へて参らす。広げて御覧じて、いとあはれがらせ給ひて、物も聞こしめさず、御遊びなどもなかりけり。大臣上達部を召して、『何れの山か、天に近き』と問はせ給ふに、ある人奏す、『駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近く侍る』と奏す。これを聞かせ給ひて、
「あふことも 涙に浮かぶ わが身には 死なぬ薬も 何にかはせむ」
 かの奉る不死の薬に、また、壺具して御使ひに賜はす。勅使には、調石笠といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せ給ふ。
 その由承りて、兵どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を『ふじの山』とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。

かぐや姫、手紙を書く

 すると、かぐや姫は、泣いている爺さんの所に近寄って
「私が行きたいと思ってここを去っていく訳ではないのですから、せめて、微笑んで見送ってください」
と言うと、爺さん、
「こんな悲しい思いでいるのに、微笑んで見送ることなんか出来る訳がないだろうに。おまえが居ないと私だって生きている意味は無いというのに、それなのにどうして見捨てて行ってしまうんだい。なあ、お願いだ。私も一緒に連れていってはくれないか」
と言って泣くのを見ていると、かぐや姫も、さすがに心が折れそうになってしまい、それで、
「お手紙を書いておきますから、恋しいと思ったときに、開いて見て下さい」
と、かぐや姫も涙ながらに、
「この国に生まれた者であったなら、お爺さま、お婆さまが悲しまずに済むときまで、ずっと一緒に過ごしましたものを。ですから、何度も言いますけれども、ここから去っていくことは、私の本心ではありませぬ。衣を脱いで行きますから、私の形見と思ってください。月が出たならば見上げてください。このまま、お爺さま、お婆さまを残して月に行くと、途中で、空から落ちてきてしまうかも知れません」
と手紙に書いて、爺さんに渡したんだって。

 すると、月の都の人が2人、箱を1つずつ持ってかぐや姫に近づいて来たのさ。その箱の一つには「天の羽衣」、もう一つには「不死の薬」が入っていて、そのうちの一人が
「壺に入っている不死の薬を飲んでください。汚い所の食べ物を食べていたのでしょうから、さぞ、気持ちが悪かったでしょう」
と、かぐや姫に近寄って来て「不死の薬」を渡したんだけど、かぐや姫は、それをちょっとだけ舐めて、残りをこっそり爺さんに渡そうと思って、爺さんに残していく服の中に包み隠そうとしたんだよね。でも、それが月の都の人に見つかってしまい、
「それはいけません」
咎められてしまったんだ。

 さらに、もう一人が「天の羽衣」をかぐや姫に着せようと近づいて来たときに、かぐや姫
「少しお待ちになってください。この衣を着てしまうと、心が月の人の心に変わってしまって、ここで過ごしてきたことなど、すべて忘れてしまうと言うではありませんか。でも、私には、もう一つ、伝えておかなければならない事があるのです」
と言って、再び手紙を書き始めると、衣を着せようとしていた月の人は、イライラした調子で
「まあ、随分と時間のかかること」
と言ったので、その様子を見たかぐや姫は、
「人の情けの分からないような事は、言ってはいけませんよ」
と静かにたしなめ、そのまま、動じることなく、帝に宛てた手紙を書き続けたんだとさ。

<ワンポイント解説>
 月の都の人も、こうしてみると結構、態度が悪かったりします。もっとも、月からの使者たちは、地球のような汚い所から、早く帰りたかったんでしょうね。
 ここでアイテムが2つ出てきます。「不死の薬」と「天の羽衣」。当時の人たちには、他の物語や言い伝えの中に出てきて有名な物ですから、どんな物なのかは、説明が無くてもある程度把握できていたと思います。
 ですから、「天の羽衣」に関しては、原文では「衣着せつる人は、心異になるなりと言う」しかありません。解釈としては「地球の人間の心から月の都の人の心に変わってしまう」というのがオーソドックスで、そこから「天の羽衣を着ると、地球での出来事はすべて忘れてしまう」という解釈になっている本もあります。ここの訳では、後者の解釈の方を取り入れています。

 また、かぐや姫のセリフの中に「お爺さま、お婆さまが悲しまずに済むときまで、ずっと一緒に過ごしましたものを」というフレーズが出てきますが、これは簡単に言うと「爺さん・婆さんがあの世に行ったとき」ということです。

<参考用原文>
 竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫言ふ。
「ここにも心にもあらでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ」
と言へども、
「何しに悲しきに見送り奉らむ。我を如何にせよとて、棄てては昇り給ふぞ。具して率ておはせね」
と泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。
「文を書き置きてまからむ。恋しからむ折々、取り出でて見給へ」
とて、うち泣きて書く詞は、
「この国に生まれぬるとならば、嘆かせ奉らぬほどまで侍らで過ぎ別れぬること、返す返す本意なくこそおぼえ侍れ。脱ぎ置く衣を、形見と見給へ。月の出でたらむ夜は、見おこせ給へ。見棄て奉りてまかる、空よりも落ちぬべき心地する」
と書き置く。

 天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。又、あるは不死の薬入れり。
 一人の天人言ふ。『壺なる御薬奉れ。きたなき所のものきこしめしたれば、御心地悪しからむものぞ』とて、持て寄りたれば、いささかなめ給ひて、少し形見とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、ある天人包ませず。御衣取り出でて着せむとす。
 その時にかぐや姫
「しばし待て」
と言ふ。
「衣着せつる人は心異になるなりと言ふ。もの一言いひおくべき事ありけり」
と言ひて文書く。天人、
「遅し」
と心もとながり給ふ。かぐや姫
「もの知らぬことなのたまひそ」
とて、いみじく静かに、朝廷に御文奉り給ふ。あわてぬさまなり。

ついに月の都の使者が来る

 そんなことをしているうちに、夜もだんだん深まっていって、夜中の12時くらいになると、突然、家の周りが昼間よりも明るく光り輝き、まるで満月の明るさを10倍にしたくらい。その光で人の毛穴さえもハッキリ見えるようになったんだって。
 すると、空から人が雲に乗って降りてきて、地面から1メートル50センチくらいの高さの所に浮いたまま、ズラッと立ったまま並ぶと、家の外にいた人も中にいた人も、何か得体の知れないようなものに襲われたようになって、戦う気持ちが完全に失せてしまったんだって。そんな中、かろうじて、戦おうと弓矢を持った者もいたんだけど、手に力が入らず、体からも力が抜けていって、結局、家の壁にベタッと寄りかかって「ふぬけ」のようになってしまったり、それを何とか克服した勇敢な者が、力が入らないところを頑張って「何とか月の都の使者に矢が当たってくれ」と念じながら、とりあえず矢を放ってみたんだけど、矢が全然違う方向に飛んでいってしまい、結局、そういう勇敢な人でさえ戦う事が出来ず、みんな、気が抜けてボーっとした感じになりながら、お互い「こりゃ、どうしたことだ」と顔を見合わせていたんだって。

 また、そこに立ち並んでいた月の都の者たちは、衣装も今までに見たことがないような美しさで、天井が布張りの飛ぶ車を一つ持ってきていたんだけど、その飛ぶ車の中に王様らしき人がいて、家の方に向かって
「讃岐造、こちらに出てまいれ」
と言ったんだって。すると、その声を聞いて、今まで散々、勇ましい事を言っていた爺さんも、何だか、酔ったような気持ちになって、その場にひれ伏してしまったんだってさ。


 その様子を見て、その王様らしき人が
「讃岐造よ、そなたは以前、慎みを持って生活をし、僅かながらでも仏の功徳を積んでいたから、そなたを助けようと、幼いこの子を、わずかの間だけと思って遣わしたのに、最近では、金が手に入ったものだから、なんとまあ、急に態度を変えて贅沢三昧。そもそも、かぐや姫は、罪を犯したことから、その罰として、しばらくの間、卑しい根性をしたそなたの所に置いておいたのだ。けれども、かぐや姫は、もう、充分、罪を償った。それで、こうして迎えに来たのだ。そなたは、かぐや姫との別れを嘆き悲しんでいるが、そんな事をしても無駄なこと。早く、かぐや姫をここに連れて来なさい」
と言うと、爺さんは
「それは、おかしな事をおっしゃいます。私は、かぐや姫を育てて20年以上ですよ。決して、僅かの間とか、しばらくの間ではありません。ひょっとしたら、別の所にかぐや姫と名乗る他の人がいるのではないですか」
と、王様の言うことの上げ足を取って、さらには
「ここにいるかぐや姫は、今、重い病気にかかっていて、ここに出てくることは出来ません」
と、何とか誤魔化そうとすると、王様は、それには返事をせず、飛ぶ車を家の方に進めて、
「さあ、かぐや姫、こんな汚いところにいつまでいるつもりなのだ」
と言うと、なんとカギを掛けていたはずの玄関が人が開けた訳でもないのにスッと開いてしまい、そのとたん、家の中の戸という戸はすべて開いてしまって、婆さんが抱きかかえていたかぐや姫も隠れていたところから外に出てきてしまったんだよね。それで、婆さんも体に力が入らなくなっていたものだから、かぐや姫を捕まえることも出来ず、ただただ、泣いたままかぐや姫の姿を見ていることしか出来なかったんだって。

<ワンポイント解説>
 王様が言っている「汚い所」というのは、見た目の汚れている場所と言うよりも、性根の卑しい者たちのいる場所という意味で捉えた方がいいでしょう。
 ここで、解釈が分かれるのが原文での王様のセリフにある「身を変へたる」のところ。一般的には「今までの貧しい暮らしから変わってお金持ちになった」という解釈なのですが、前の部分に「功徳をつんで・・・」とあり、ここの部分を「今まで功徳をつんでいたのをお金が入ってきたら、その身をかえた」という解釈をしているものもあります。ここでは、月の都の人からは、最終的に翁も「卑しい人」とあつかわれていますから、後者の訳を採用しています。

<参考用原文>
 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり昼の明かさにも過ぎて光りたり、望月の明かさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて下り来て、地より五尺ばかり上がりたるほどに立ち連ねたり。
 内外なる人の心ども、物に襲はるるやうにて、相戦はむ心もなかりけり。からうして思ひ起こして、弓矢を取りたてむとすれども、手に力もなくなりて、なえかかりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへ行きければ、あれも戦はで、心地ただ痴れに痴れて、まもりあへり。

 立てる人どもは、装束の清らなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋さしたり。
 その中に王とおぼしき人、家に、
「造麻呂、まうで来」
と言ふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。
 言はく、
「なんぢ、幼き人、いささかなる功徳を翁つくりけるによりて、なんぢが助けにとて、片時のほどとて降ししを、そこらの年頃、そこらの金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪のかぎり果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く、能はぬことなり。はや返し奉れ」
と言ふ。
 翁答へて申す、
かぐや姫を養ひ奉ること二十余年になりぬ。片時とのたまふにあやしくなり侍りぬ。また、異所にかぐや姫と申す人ぞ、おはしますらむ」
と言ふ。
「ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ」
と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、
「いざ、かぐや姫、きたなき所にいかでか久しくおはせむ」
と言ふ。
 立てこめたる所の戸、すなはち、ただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。嫗抱きてゐたるかぐや姫外に出でぬ。えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣き居り。

かぐや姫の話を聞いて、爺さん怒る

 ところが、この屋根の人と爺さんの会話を聞いていたかぐや姫
「どんなに大勢の人で戦って守っても、どんな作戦を立てても、月の都の人と戦うことは出来ません。弓矢も射ることが出来ませんし、どんなに厳重にカギを掛けても、簡単に全部開いてしまいます。戦おうとしても、月の都の人が来たら、勇敢な人は誰もいなくなってしまいますわ」
と言うと、それを聞いた爺さんは、
「いやいや、もしも、迎えの者が来たならば、この伸ばした爪で引っ掻いて目ん玉をくりぬいて、髪の毛をつかんで引きずり降ろし、袴でも何でも引っ剥がして尻を丸見えにして、みんなの笑い者にしてくれるわ」
と、腹を立てながら、そう言ったんだって。
 すると、かぐや姫は、爺さんが下品な事まで言い出すので、
「そんな大きな声を出さないでくださいませ。屋根の上の人の言うことに張り合わないでくださいまし」
と爺さんをたしなめると
「ただ、そうまで言って、私の事を守ろうとしてくれている気持ちを知って、私も、このまま月の都に去らなければならないことをすごく悔しく思います。長い間、共に過ごして来なければ、すぐに、月に帰ってもそんなに気には止めなかっただろううと思うことも、とても悲しく思いますし、親孝行も、ほんの少しもしないままですから、月に帰って行く道の途中も安心してはいられません。
 長い間、一緒に暮らしてきて、今年で月に帰っていくことを告げましたが、それを許してもらえないとなると、私の心も乱れております。そして、お爺さま、お婆さまの心を乱して去っていかなければならないことも、とても悲しく思います。
 月の都の者たちは、珍しいことに、年を取りません。悩むこともありません。ですから、そのような所へ帰っても、嬉しくはありません。年を取って老いて行く様を見ることの方が、よっぽど恋しく思います」
と言うと、かぐや姫が、相変わらず「ここから必ず去っていってしまう」という話をしているので、爺さんは癇癪を起して
「ええい、胸クソが悪くなるような事は、言ってくれるな。綺麗な使者が来たところで、絶対、邪魔をしてやるぞ」
と、ムキになって、そう言ったんだって。

<ワンポイント解説>
 恥をかくのは、死ぬことよりも辛い、という話を書きましたが、さすがに「尻を見て笑い者にする」という話は、ちょっとお下品ですね。そして、この場面のかぐや姫のセリフですが、掛詞などを意識しているのか、非常に訳しづらいところになっています。それで、大意は「別れは悲しいけれど、でも、どうしても連れて行かれてしまうのよ」と考えてもらえればいいと思います。そこで「月の都の使者がナンボのもんじゃい」と考えている爺さんが腹を立ててしまう、という流れですね。
 また、かぐや姫のセリフが結構長いので、ここでは、一部、区切りを入れてあります。

<参考用原文>
 これを聞きて、かぐや姫は、
「さしこめて守り戦ふべきしたくみをしたりとも、あの国の人を、え戦わぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの国の人来ば、みな開きなむとす。相戦はむことすとも、かの国の人来なば、猛き心つかふ人も、よもあらじ」
 翁の言ふやう、
「御迎へに来む人をば、長き爪して眼をつかみつぶさむ。さが髪を取りてかなぐり落とさむ。さが尻をかき出でて、ここらの朝廷人に見せて、恥を見せむ」
と腹立ち居る。
 かぐや姫言はく、
「声高になのたまひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。
 いますがりつる心ざしどもを思ひも知らで、まかりなむずることの口惜しう侍りけり。長き契りのなかりければ、ほどなくまかりぬべきなめりと思ひ、悲しく侍るなり。親たちの顧みをいささかだに仕うまつらで、まからむ道も安くもあるまじきに、日頃も出で居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆き侍る。御心をのみ惑はして去りなむことの悲しく堪へがたく侍るなり。
  かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ恋しからめ」
と言ひて、翁、
「胸いたきこと、なし給ひそ。うるはしき姿したる使ひにも障らじ」
とねたみ居り。

かぐや姫防衛軍、到着

 このかぐや姫の噂を帝も聞いて、その話の真偽を確かめようと使いの者を遣わしたんだけど、爺さんがその使いの者に会ったとたん、その顔を見ただけで、ワンワン泣きわめき出したんだって。それで、そのときは、爺さんは50才くらいだったんだけど、あまりにも嘆き悲しんだため、ひげも白くなってしまっていたし、腰も曲がって、目も泣きすぎてパンパンに腫れてしまっていて、あまりに悲しみすぎたために、僅かの間にめっきり老けちゃったんだよね。そして、使いの者が
「帝は『かぐや姫の噂を耳に挟んで、辛く思っているのだが、それは、本当のことか?』とおっしゃっております」
と告げると、爺さんは泣いたまま、
「はい。今月の15日に、月の都から使者が、かぐや姫を迎えに来るんだそうです。それで、どうか、帝にお伝えください。今月の15日には、かぐや姫を守るために、こちらに警備隊を寄越してください。そして、月の都からの使者が来たらば、その者たちを捕まえてください」
と、必死にお願いしたんだって。


 それで、使いの者が宮中に戻り、その爺さんの様子や爺さんの話したことを帝に伝えると、それを聞いた帝は
「私など、一日会っただけでも忘れられないのに、爺さんは、そのかぐや姫と、毎日、一緒に暮らしていたんのだから、その悲しみは、私には到底計り知れない・・・」
と言って、爺さんの願いを聞いてあげることにしたんだってさ。

 そこで、いよいよ運命の8月15日。帝は、役所という役所、すべてに通達を出し、高野大国(たかののおおくに)を代表に任命して、日頃、帝の護衛に当たっている部署の総勢2000人を「かぐや姫防衛軍」として、爺さんの家に派遣したんだって。そして、塀の上に1000人、屋根の上に1000人を配置して防衛に当たらせ、爺さんの家の大勢の使用人とタッグを組んで、蟻の入る隙間も無いくらいビッシリと家の周囲を固めたんだってさ。もちろん、家の周囲の者たちは武器に弓矢を持って、武器などを持たない女の使用人たちは、かぐや姫が連れ去られないように家の中に入って守ることにして、婆さんは、かぐや姫を抱くようにして物置小屋に籠もり、その物置の前に爺さんが見張りに立って準備を整え、そのまま辺りをグルリと見渡した爺さんは
「これだけ、しっかり守っていれば、月の都の使者なんかに、負けるわけがない」
と自信満々。そして、屋根の上の人たちに、
「ちょっとでも、怪しいものが来たら、すぐに、矢で撃ち殺してください」
と声をかけると、屋根の人たちも
「これだけしっかり守っているんですよ。コウモリようなものが一匹でも飛んで来たら、まず、それを射殺して、見せしめにしてやりますわい」
と意気揚々。それを聞いて、爺さんも「これなら、大丈夫」と安心したんだって。

<ワンポイント解説>
 ここの場面も、実は「竹取物語のなぞ」として、よく取り上げられる所。その「なぞ」とは「爺さんの年齢のこと」なんです。これ「爺さん、かぐや姫に結婚を勧める」を見てもらうと分かるのですが、そこでは、かぐや姫に結婚を勧める際「私も70才になる」と言っているんですね。ところが、ここでは、それからさらに年月が経っているのに、逆に年齢は若返って、なんと「50才」。それで「作者が間違えたんじゃないか」とか「爺さんがかぐや姫に会って、若返ったのではないか」とか、いろんな説が出てきている所なんです。現実派だと「作者のミス」、ロマン派だと「若返った」という感じでしょうか。
 また、塀の上に1000人、屋根の上に1000人で家を守っているのですが、こんなに人が乗っていると、塀や屋根がつぶれてしまうんじゃないかとか、そっちの方が気になったりします。

<参考用原文>
 このことを帝聞こしめして、竹取が家に御使ひ、遣はさせ給ふ。御使ひに竹取出で会ひて、泣くこと限りなし。このことを嘆くに、ひげも白く、腰もかがまり、目もただれにけり。翁、今年は五十ばかりなりけれども、もの思ひには、片時になむ老いになりにけると見ゆ。
 御使ひ、仰せ言とて翁に言はく、
「いと心苦しくもの思ふなるは、まことにか」
と仰せ給ふ。竹取、泣く泣く申す。
「この十五日になむ、月の都より、かぐや姫の迎へにまうで来なる。尊く問はせ給ふ。この十五日は、人々賜はりて、月の都の人、まうで来ば、捕らへさせむ」
と申す。

 かの十五日の日、司々に仰せて、勅使、少将高野大国といふ人をさして、六衛の司合はせて二千人の人を、竹取が家に遣はす。家にまかりて、築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓矢を帯してをり、屋の内には、女ども番に居りて、守らす。
 嫗、塗籠の内にかぐや姫を抱かへて居り。翁も塗籠の戸鎖して戸口に居り。翁の言はく、
「かばかり守る所に、天の人にも負けむや」
と言ひて、屋の上に居る人々に言はく、
「つゆも物空に翔らば、ふと射殺し給へ」。
 守る人々の言はく、
「かばかりして守る所に、かはほり一つだにあらば、まづ射殺して外にさらさむと思ひ侍る」
と言ふ。翁これを聞きて、頼もしがりをり。

ついにかぐや姫の素性が明らかに

 そして、一ヶ月近く経った8月15日の数日前になって、この日ばかりは、かぐや姫、月を見ながら、人目をはばからず号泣。これを見て、さすがに爺さん、婆さんも
「これは、いったいどうしたことなんだ」
と騒ぎ立てる始末。かぐや姫も、さすがに、もう隠してはおけないと、泣きながら、
「今までも、何度も言おうとしたのですが、言うと必ず悲しむと思って、言わずに来てしまいました。だからと言って、もう、ここまで来てしまった以上、もう、隠してはおけません。私は、本当は、この世界の者ではなく、月の都の者なのです。けれども、昔、月の者たちと交わした約束事があって、そのため、こちらの世界に来ていたのです。そして、ついに、私は月に帰ることになってしまいました。今月の15日には、月の都から迎えの使者がやってきます。それで、この世界を去っていかなければならないことが、悲しくて、今年の春からずっと泣いておりました」
と言って、かぐや姫の目から、涙がドンドン溢れてきて、それが滝のように流れ出したんだって。すると、それを聞いた爺さん、
「これは、何と言うこと。私はな、確かに、おまえを竹の中から見つけたよ。ただ、こんな菜種くらいの大きさのおまえを、私と変わらないくらいの背丈になるまで育てたんだ。そんな愛おしいおまえを、迎えが来ると言われたって渡せるものか」
と言って、姫を連れて行かれることが、どうしても我慢できず、
かぐや姫を連れて行くくらいなら、いっその事、私を殺せ」
と、大泣きしながら、わめき散らしたんだって。その様子をみて、かぐや姫は、
「月の都には、私の本当の父・母がおります。そして、私も、ほんの僅かの間だからと言われて、こちらにやって参りましたが、この国では、思った以上に長く過ごしてしまいました。それに、私は月の都の父母のことも、全く覚えておりませんし、こちらではお爺さま、お婆さまを本当の親と思って、長い間、慣れ親しんで参りました。ですから、今更、月に帰ると言っても、嬉しくも何ともなく、ただ、悲しいだけでございます。帰るというのは、私の気持ちではありません。でも、帰らなければならないのです」
と言って、爺さん、婆さんと一緒になって、再び目から大粒の涙が次から次へと流れ出てきてしまったんだって。その話を聞いていた側仕えの人たちも、ずっと長年、お世話をしていて、その上品な振る舞いや美しさを見てきているので、かぐや姫と別れるとなると、とても悲しくて、食べ物どころからお湯や水も喉を通らないようになり、爺さん、婆さんと同じ気持ちで悲しんだんだってさ。

<ワンポイント解説>
 ここは、皆さん、昔話でご存じの「素性を白状する」シーンですね。それで、ここはみんな「泣きまくる」訳ですが、昔の人は、何かあるとすぐ泣きます。「泣く」というのは、感情を露わに表現することにつながり、小さな事でもすぐに涙を流す、ということは「感受性にすぐれている」として「素晴らしいこと」の扱いなんです。お涙ちょうだい的なお話は、比較的、日本人が好むものではないかと思いますが、源流は、すでにこの時期にあったんですね。

<参考用原文>
 八月十五日ばかりの月に出で居て、かぐや姫いといたく泣き給ふ。人目も、今は、つつみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもも、
「何事ぞ」
と問ひ騒ぐ。 かぐや姫泣く泣く言ふ、
「さきざきも申さむと思ひしかども、必ず心惑はし給はむものぞと思ひて、今まで過ごし侍りつるなり。さのみやはとて、うち出で侍りぬるぞ。おのが身は、この国の人にもあらず、月の都の人なり。それをなむ、昔の契りありけるによりなむ、この世界にはまうで来たりける。今は帰るべきになりにければ、この月の十五日に、かの本の国より、迎へに人々まうで来むず。さらずまかりぬべければ、おぼし嘆かむが悲しきことを、この春より、思ひ嘆き侍るなり」
と言ひて、いみじく泣くを、翁、
「こは、なでふことをのたまふぞ。竹の中より見つけ聞こえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、我が丈立ち並ぶまで養ひ奉りたる我が子を、何人か迎へ聞こえむ。まさに許さむや」
と言ひて、
「我こそ死なめ」
とて、泣きののしること、いと堪へ難げなり。かぐや姫の言はく、
「月の都の人にて父母あり。片時の間とて、かの国よりまうで来しかども、かく、この国には、あまたの年を経ぬるになむありける。かの国の父母のこともおぼえず、ここにはかく久しく遊び聞こえて、ならひ奉れり。いみじからむ心地もせず、悲しくのみある。されどおのが心ならず、まかりなむとする」
と言ひて、もろともにいみじう泣く。使はるる人も、年頃ならひて、たち別れなむことを、心ばへなどあてやかにうつくしかりつることを見馴らひて、恋しからむことの堪へ難く、湯水飲まれず、同じ心に嘆かしがりけり。