竹取物語について (まえがき)
竹取物語を「当時の人はどういう感覚で読んでいたか」という視点で見ると、どうやら、昔話のイメージとは全然違っていて、かぐや姫はツンツンしているし、周りによってくる男たちは間が抜けているし、竹取の翁にいたっては「下品なことを言わないでちょうだい」とかぐや姫に怒られる始末。おまけに、作者本人も「嘘の語源解説」までしていて、結構、ハチャメチャ。
だから、今の感覚で言うと、まじめな昔話というよりはギャグ漫画的存在だったのではないかと思います。
でも、現実では、学校の授業などで「古文」として習うと、何となく堅苦しい、学問然とした説明になってしまい、実際に書かれている内容となると、自信を持って答えられる人は、そんなに多くはないのではないかと思います。
そこで、当時の様子や内容の説明を入れながら、なるだけ当時の雰囲気に近い感覚で読めるように訳してみました。子供のころに読んだ昔話や高校の古文の授業とのギャップを感じてもらえれば、嬉しく思います。
また、各項目のタイトルは、自分の方で独自に入れたものです。古文にはありません。また、参考用に原文も入れてありますが、見やすいように、改行は現代の文と近い形に直してあります。
おじいさんとかぐや姫の出会い
むか~し、むかし、あるところに「竹取の爺さん」という人がいたんだって。野山に入っていって、竹を取ってきてはいろんな物を作って、自分で使ったり売ったりしていたんだ。もちろん、竹細工などを売ったところで、そんなに収入が多いわけではなく、つつましく暮らしていたんだけど、まだ庶民だと名前も満足に無い人が多かった時代に、この爺さんは、暮らしぶりとは似合わない「讃岐造(さぬきのみやっこ)」と、地方の有力者が使うような名前を名乗っていたのさ。
それで、あるとき、いつものように竹を取りに行くと、なんと根元が光っている竹があって「あれ? 何だろう?」と思って近寄ってよくよく見てみると、実際には竹の節の中が光っていて、その中に、大きさが10センチくらいしかない小さな赤ちゃんが可愛らしく座っていたんだって。
それを見た爺さんは「毎朝毎晩、おいらが見に来る竹の中にいたってことは、おいらの子供になる運命の子に間違いない!」な~んて思って、そっと両手ですくうように持ち上げると、そのまま家に連れて帰って、婆さんに「この子を育ててくれ」って預けたんだ。
爺さん、婆さんは、元々子供がいなかったので、その子がすっごく可愛いと思ったし、何せ、生まれたばかりの子と言っても、10センチくらいしか無いわけだから、普通の子よりもずっと小さいでしょ。それで、自分の作った竹の籠の中に入れて育てることにしたんだってさ。
<ワンポイント解説>
竹取物語の冒頭は、こんな感じ。途中でいろいろな説明を入れる都合上、昔話を読み聞かせしているような口調にしてみました。
だいたいは皆さんが知っている内容だと思うのですが、ここでの注目は「爺さんの名前」。原文では「名をば讃岐造となむいいける」なんですが「なむ~ける」と係り結びを使っているのは「なんと、こんな名前を名乗っていたんですよ」くらいの感覚。わざわざ、こんなふうに強調しているということは、おそらく、通常の庶民の名前とはちょっと違っている、というところを浮き彫りにしたかったのだと解釈しています。それで説明を訳文の中に入れてみました。
そして、この「造(みやっこ)」というのは、社会科で習う「氏姓制度」の「姓(かばね)」に当たっていて、「讃岐」という国名が入って「造」がつくと、歴史で習う「国造(くにのみやっこ)」。今で言う「知事」のようなイメージでしょうか。その国の貢ぎ物をまとめて朝廷に献上する役を担っていたということです。ですから、本来であれば、もっと羽振りがいいはずなのですが、特に威張ったりもせず、婆さんと仲良く、つつましく暮らしていた、ということで、この部分が、後の「月の都の王」が話す「功徳を積んだ」部分になるのではないでしょうか。ですから、この「名前の意味を知っておく」ということが物語を読むのに、結構「重要な部分ではないか」と思っています。
さらに、もう少し細かな話になりますが、この竹取物語は、794年にスタートした平安時代の初期に出来たと言われています。そして、701年の大宝律令より少し前の684年に「八色の姓(やくさのかばね)」というものが決められていて、そこで「造」は「姓」から外され、それ以降は「姓」として使われていません。ですから、平安当時の人は「造」という姓を使っていることで「どのくらいの昔の話なのか」と言うことが分かったのではないかと思います。今で言うと「副将軍」とか「岡っ引き」というと「おっ、江戸の時代劇だな」と分かるような感覚に近かったのではないでしょうか。
<参考用原文>
今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。翁言ふやう、
「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」
とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。美しきことかぎりなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。
かぐや姫の成長
さて、この竹取の爺さん、この赤ちゃんを見つけてからは、竹を取りに行くと、毎日毎日、黄金のいっぱい詰まった竹の節を見つけることが続いて、だんだんお金持ちになっていったんだよね。
そして、この爺さんが見つけて来た赤ちゃんも、竹から生まれたせいか、竹のようにアッという間に大きくなって、なんと3ヶ月で13、4才の普通の人間と同じくらいの大きさまで成長しちゃったんだってさ。
もちろん、この当時の成人っていうと、今とは違っていて、今の中学校1・2年生くらいの年齢だし、それに、誰もが見たことの無いようなすっごい美人だったから、爺さん、婆さんも立派な成人にしようと思って、髪型を大人向きに変えたり、服も大人用に新調して、当時の風習通り、家の奥の部屋をこの子の部屋にして、世話をするお付きの人も雇って、「御簾(みす)」というブラインド・カーテンのようなものをかけて、その部屋から出さないようにして、大事に大事に育てたんだよね。
ところが、この子、珍しいことに体から光を放っていて、家の奥の部屋にいるにも関わらず家の中は全部明るく見えるし、爺さんが病気になったり、イヤなことがあって気分が悪くなったり、腹が立ったときでも、この子をみるとスッカリ元気になったんだって。
そうやって過ごしているうちに、爺さんも讃岐造の名前と釣り合うくらいの大金持ちになったし、この子も大きく成長したものだから、この子に貴族のようにきちんとした名前をつけてあげようと思って、格式のある神官だった「三室戸齋部の秋田(みむろといわべのあきた)」という人を呼んで名前を付けてもらったんだ。その秋田が付けたのが「なよ竹のかぐや姫」という名前。
そこで、爺さんは、名前がついたお祝いをすることにしたんだけど、自分もお金持ちになったことだし「簡素なお祝いじゃつまらないな」と思い、当時の貴族やお金持ちの真似をして、3日3晩ぶっ通しで盛大な宴会を開いたんだってさ。そして、将来、かぐや姫のお婿さんになる人が来るかも知れないと思って、ちょうどお婿さんにふさわしいくらいの年齢の男は、誰彼構わず招待して、歌だの踊りだの、とにかく、考えられる宴会行事を全部やったっていう話だよ。
<ワンポイント解説>
「かぐや姫」の話というと、一般的には「日本の昔話」の1つとして語られる事が多いため、ここに出てくる竹取の爺さんも「正直爺さん」と「意地悪爺さん」の「正直爺さん」っぽいイメージで考えている人が多いのではないかと思うのですが、実際の文章では、昔話ほど「正直爺さん」っぽくないようです。
どちらかというと、それまではつつましく暮らしていたものの、お金が手に入ると、普通の金持ちと同じように贅沢三昧をしている爺さん、という感じのようで、もしかすると、今で言う「宝くじが当たって贅沢をしている」ような、ちょっとうらやましい存在というイメージで見た方がいいのではないかと思います。要するに、あまり良いイメージでは無いと思った方がいいでしょう。
また「讃岐造」というと、地方の有力者の名前ですから、こういう地方の人って、ひょっとしたら昔は、ちょっと羽振りが良くなると、すぐに都会の上流貴族の真似をしたがる、なんていう傾向があったのかも知れません。ですから、ここでは、それを皮肉っている面もあるようで、後に、月の都の王からお叱りを受けることになります。
そして、ここで解釈がいろいろ分かれているのが「かぐや姫自身が光っている」という部分です。実際に光っているというのは現実的ではないとして「光り輝くように美しい、という形容だ」としている人もいるのですが、帝がやってきて、こっそりかぐや姫を見るシーンでも「光っているからかぐや姫だと分かった」という話になりますし、そもそも、爺さんがかぐや姫を見つけたときも、竹が光っていたから見つけられた訳で、その光の源はかぐや姫本人だったろう、と推測して、ここでは「実際に体から光が出ていた」という説を採用しています。そして、その光は壁を通り抜けてしまう特殊な光で、そのため、家の中全体が明るくなっていたという解釈です。
個人的には、後になって月の都の人が宙に浮いていたりしていますし、今で言うSFとかファンタジー寄りの感覚で、現実ではあり得ない事が起こっていると考えた方が良いのではないかと思っています。
また、原文では成人の準備をするときに「世話をする人を雇った」という記載はありませんが、後に、世話をする人の話が唐突に出てきますので、ここで雇ったこととして訳してあります。
<参考用原文>
竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に、竹取るに、節を隔てて、よごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。
この児養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す。帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。
この児のかたちのけうらなること世になく、屋の内は暗き所なく光満ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。
翁、竹を取ること久しくなりぬ。勢ひ猛の者になりけり。
この子いと大きに成りぬれば、名を三室戸斎部の秋田を呼びてつけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫と付けつ。このほど三日うちあげ遊ぶ。よろづの遊びをぞしける。男はうけきらはず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ。
かぐや姫に求婚者、殺到!
そうやって、かぐや姫の事をみんなにお披露目したせいで、世の中の男たちは、身分の高い者も低い者も、みんな「かぐや姫をお嫁さんにしたい」「一目だけでも会ってみたい」と噂し会ったものだから、そのせいで、かぐや姫の家の周りにどんどん人が集まってきてしまったんだよね。
でもね、かぐや姫のために雇った付き人たちでさえ、御簾越しに話すだけで、滅多に見ることができないんだから、そんなに簡単にかぐや姫の姿を見ることなんか出来なくて、男達は、夜も寝ないで家の周りで粘ったり、家の垣根に穴を開けて、そこから覗こうしたりと必死だったんだって。なんかストーカーみたいでしょ。
だけどね、当時の結婚の風習っていうのは、正式には、男の人が女の人の所に通っていって、女の人が許してくれて始めて顔を会わせられるっていうスタイルだったんだよね。だから、実際に美人かどうかは、お許しをもらって顔を見るまで分からないのさ。だけど、そこは、ほら、やっぱり本当に美人かどうかということを先に確かめておきたいでしょ。それで、こっそり覗き見をするのが当時の風習だったんだ。
それにね、もしも、覗き見できなかったとしても、結婚するためには、女の人のお許しをもらわなければならないから、男の人としては、まず、女の人に会ってお話をするために、とりあえず「美人だ」という噂だけでも「愛してます」なんてラブレターを送ったりしていたわけ。それにね、噂だけでそれほど美人じゃないっていう女の人だと、良さそうな男の人が来たら、早めに会って結婚しようとするんだけど、かぐや姫は一切返事をしない訳でしょ。だから、集まってきている男たちは、覗き見をしても、手紙を書いても、なかなか顔を見ることが出来ずに、焦らされれば焦らされるほど「こりゃ、ひょっとしたら、とんでもない美人かも知れないぞ」なんて、気持ちがドンドン高まって行っちゃったのさ。だから、かぐや姫のところに集まってくる男の人たちも、気持ちがもう、ズッキュン、ドッキュンっていう感じ。皆、かぐや姫のことで頭がいっぱいになっちゃったんだって。
ちなみに、こうやって、男の人がかぐや姫に会いたくて、夜中に家の周りを這いつくばっていたところから、結婚したいと思っている女の人のところに通っていくことを当時の言葉で「夜這い」って言うようになったんだよ。なんちゃって~。
<ワンポイント解説>
ここでのポイントは、何と言っても最後の「なんちゃって~」というところです。ハッキリ言って、こんな語源は嘘。「竹取物語」の作者は、どうやら、こういう茶目っ気があったようで、この「語源」の「なんちゃって解説」をこの後、何度も入れてきます。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、物語の一番最後の「富士山の語源」も、この「なんちゃって解説」ですからね。
また「ズッキュン、ドッキュン」のくだりは、原文だと「垣間見、惑いあへり」くらいしか無いのですが、これだけだと、当時の風習を知らない限りイメージが湧かないと思いますので、解説を入れながら、今だったらこんな感覚だろうという内容を補足してあります。
<参考用原文>
世界の男、あてなるも卑しきも、いかで、このかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家の門にも、居る人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝も寝ず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひ合へり。
さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。
求婚者、5人に絞られる
さてさて、こうやってかぐや姫の家の周りをウロウロしている男達の中には、どうしてもかぐや姫を見てみたいという思いが募りすぎて、まともな人なら「そんなことまでするの?」というような、とんでもない所にまで入っていったりしたんだけど、それでも、全然見ることが出来なかったわけ。また、家の人に「伝言」を頼もうと話しかけても、完全に無視されて、全く相手にしてもらえない。それでも、家の周りを離れないで、そこで、暮らしているような感じになっちゃっている人もかなり多かったんだって。
ただ、そうは言っても、いつまで経っても何の音沙汰も無いわけでしょ。だから、中には「俺じゃあ、ちょっと無理だろうな」と思う人も出始めて、そう言う人は、かぐや姫に会うことを諦めて「ここで、過ごしていたって、いいことなんか何にも無いや」と、帰ってしまたのさ。
そうやって、しばらく経って、少しずつ人が減っていって、それでもまだ、最後まで「かぐや姫の事を諦めきれない」と残ったのが5人。昼も夜もずっと家の周りに来ては「かぐやちゃ~ん、愛してるよ~」なんて言い続けていたんだって。
その5人とは、
あまり賢くないくせに、やたらしつこい性格の「石作皇子(いしづくりのみこ)」
すぐに調子に乗って、嘘でも何でも平気な「庫持皇子(くらもちのみこ)」
単なる金持ち自慢の「右大臣阿倍御主人(うだいじん あべのみうし)」
武勇が自慢で、実は小心者の「大納言大伴御行(だいなごん おおとものみゆき)」
優柔不断ですぐ人に頼っちゃう「中納言石上麻呂足(ちゅうなごん いそかみのまろたり)」
いずれも「女の人との恋の駆け引きでは自信がある」っていうメンバーだったのさ。
<ワンポイント解説>
いよいよ求婚者が5人に絞られたというところです。当時で言うと「皇子」は天皇の子供、右大臣・大納言・中納言は当時の政治を行っていた天皇の側近の要職についている人で、今で言えば大臣みたいな人と思ってもらうといいでしょう。
それぞれの性格の部分は、あとあと出てくる内容から、ここで補足してあります。おそらく、当時の男の立場で考えると「そうそう、俺の仕えている貴族ってこういうやつなんだよね~」という「上司にしたくない人、ワースト5」的な人として、また、当時の女の立場で考えると「あ、そうそう、うちの旦那、これよ」というような反応の「貴族の旦那のあるあるネタ」のような感覚で読まれていたのではないかと思います。そして、そういった「気に入らないやつ」をかぐや姫がやっつける、という流れですから、読む人によっては勧善懲悪もののような感覚だったのかも知れませんね。
また、気になるのが「そんなことまでするの?」の内容。原文には具体的には書いていませんが、個人的には「床下に潜る」とか「屋根に登る」とか、そういう事までしてかぐや姫を覗こうとしたのではないかと思っています。ちなみに、この当時は、家にトイレはなく、赤ちゃん用の「おまる」のようなもので用を足していたので、トイレ覗きはありえませんね。
<参考用原文>
人の物ともせぬ所に惑ひ歩けれども、何の験あるべくも見えず。家の人どもにものをだに言はむとて、言ひかくれども、事ともせず。
あたりを離れぬ公達、夜を明かし日を暮らす、多かり。おろかなる人は、
「やうなき歩きはよしなかりけり」
とて、来ずなりにけり。
その中に、なほ言ひけるは、色好みと言はるる限り五人、思ひやむ時なく夜昼来ける。その名ども、石作の皇子・庫持の皇子・右大臣阿部御主人・大納言大伴御行・中納言石上麻呂足、この人々なりけり。
求婚者5人の根性
とにかく、この5人っていうのが、今までも「ちょっと美人の女がいるよ」なんていう噂を聞くと、あっちの女こっちの女と、どこにでも顔を出していたっていう話なんだよね。そこに「特別美人だ」という噂のかぐや姫でしょ。そうなると、5人とも「どうしても会いたい」っていう気持ちが高まり過ぎちゃって、ついには食べ物も喉を通らないくらい。それで、かぐや姫の家の近くまで行っては、周りをうろうろしたり、ジッと座って、いつまでも待っていたりしたんだってさ。
それからね、ラブレターも当然書いたんだけど、いつまでも返事がないから「さすがにかぐや姫ほどの美人なら、普通の女の人に渡すようなレベルじゃ効果がないぞ」と思って、内容がだんだん凝っていって、いわゆる、当時の流行の「わび・さび」っていうやつを目一杯盛り込んだ「これぞ、最高のラブレター」というのを書いて送ったんだって。でも、結局、返事は無かったんだけどね。
そんな状況だったにも関わらず、11月、12月の雪が降ったり地面が凍ったりしているときも、6月の暑さでグロッキーになっちゃうようなときも「そんなの関係ねえ」って、ずっと通ってきていたんだって。
当然、竹取の爺さんにも「是非、かぐや姫を私の嫁にください」と地面に這いつくばって、仏様を拝むように手を摺り合わせてお願いしてみたんだけど、爺さんは「本当の私たちの子供ではないので、私の思ったとおりには、なかなかいかないんですよね~」と言って誤魔化して、そうやって月日が経っていったんだよね。
だけど、この5人、家に帰った後、ずっとかぐや姫との事を妄想したり、お祈りをしたり、神社で願掛けをしたり、とにかく、絶対に諦めなかったんだって。どうやら、この5人は「今は、こうやって何も無いけれど、いずれは絶対、誰かの所に嫁に行くんだから、それまで粘れば大丈夫」っていう気持ちでいたみたい。それで、自分の愛情の深さをアピールして、自分の嫁にしようと、せっせと通っていたみたいだよ。
<ワンポイント解説>
ここで、11月、12月や6月と出てきますが、実は、これ、旧暦なので、今の月とはちょっとずれています。正確な日数を出せないのは、当時使っていた暦は「太陰太陽暦」ですから、新月の日を各月の「1日」とするので、その年によって「1月1日」が違うから。ですから、11月・12月は冬の一番寒い時期、6月は夏の一番暑い時期を想像してください。
そして、この5人に限ったことではないのですが、月の都の人たちから見ると、地球の人間は全て「醜い心の持ち主」という扱いになっています。この頃は、やはり中心となっているのは仏教の思想で、おそらく作者は「嘘をついたり、人を欺いたりしてはいけません」とか「暴力などの力に頼ってはいけません」「何でもお金、という考えを持ってはいけません」ということを諭す教訓話として、この物語を構成していたのではないかと思います。当然、地球の人間である竹取の爺さんも「ちょっとお金が手にはいると、すぐに贅沢をしてしまう」というダメな方の人間という扱いになっています。
どこにでもあるような人生訓の本を読むより、こちらの話の方が本質を突いているような気がしますので、それぞれのどういう所がダメなのか、と言うことを考えながら読んでみるのも一興でしょう。
<参考用原文>
世の中に多かる人をだに少しもかたちよしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、かひあるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず、わび歌など書きておこすれども、かひなしと思へど、霜月・師走の降りこほり、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり。
この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、
「むすめを我に賜べ」
と伏し拝み、手をすりのたまへど、
「おのがなさぬ子なれば、心にも従はずなむある」
と言ひて、月日過ぐす。
かかれば、この人々家に帰りて、ものを思ひ、祈りをし、願を立つ。思ひやむべくもあらず。「さりとも遂に男合はせざらむやは」と思ひて、頼みをかけたり。あながちに心ざしを見え歩く。
爺さん、かぐや姫に結婚を勧める
それで、その様子を見ていて、さすがの爺さんも、この5人の事がだんだん可哀想になってきたし、それに、5人とも身分が高くて、結婚相手には申し分ないだろうと思って、かぐや姫に
「私は、おまえの事を、家を裕福にしてくれた仏様のように思ったり、体から光が出ているものだから神様ようにも思ったり、なにせ普通の人間とはずいぶんとかけ離れている不思議な子だと思ったこともあったけれど、それでも、ただただ、自分の子供として愛情を持って一心に育てて来たつもりだ。だから、どうか、私のお願いを聞いてくれないか?」
と言うと、かぐや姫も
「私の方こそ、そんな生い立ちとは少しも思わず、お爺さんを本当の親だと思って過ごしてきたのよ。だから、何なりとおっしゃって」
と、嬉しいことを言ってくれるので、いよいよ本題に。
「私も、もう70才を超えて、お迎えが来るのが今日、明日になるかもしれない。世の中は、男は女に、女は男に出会って結ばれ、そして、子供が産まれ、一族が繁栄していくものなんだよ。それを、どうして、結婚しようとしないんだい?」
と言うと、かぐや姫、間髪入れずに
「何で? どうして、結婚なんか、しなきゃならないの?」
と、それまでにも、何度も結婚の話をしてきたんだけど、このときも、全く取りあおうとしない様子。それでも、今回は、何とか説得しようと爺さんは頑張って、
「いくら、人間界の者では無いと言っても、女であることは間違いないだろう? 私が生きているうちは、こうやって何不自由無く生活できるけれども、もう、私もそんなに長くない。それに、こうやって一生懸命、おまえの所に通ってきている人がたくさんいるんだから、もうそろそろ、とりあえず会ってみるだけでもいいではないか」
と必死。でも、かぐや姫は
「でも、私、そんなに美人じゃないし、私の事を真剣に愛してくれるかどうかなんて分からないでしょ? それに、変な浮気心を起こされて、他の女のところに行くような事があったら、後悔してもしきれないわ。いくら身分が高くったって、私への愛情が分からないような人になんて、会いたくないの」
と、まったく、とりつく島が無い返事だったんだって。
<ワンポイント解説>
古文の難しさというと、その一つは「誰が話している内容なのか、ハッキリしないこと」と「やたら敬語表現が多く、まどろっこしいところ」。それで、ここでは、他の訳本でもよく使われている「敬語表現」を抜いて見ました。親子の会話ですから、現代風にするとこんな感じだと思います。原文ではお互い実の親子ではないという遠慮があるのか「はべる」とか「たてまつる」とか「いまそかる」という敬語表現が頻繁に出てくるのですが、ここでは、そういう事に惑わされず、話の流れや雰囲気を感じ取ってください。
そして、ここでのかぐや姫のスタンスなのですが、どうやら、このときすでに、月の都の人たちとテレパシーで交信していたようで「地球の人間は、汚らわしい心の持ち主ばかりだ」と言われていたようです。ですから、そういう「卑しい心の持ち主とは、絶対、結婚しない」と固く心に決めていて、爺さんからの結婚話は、全く受け付けなかったようですね。
さらに、この頃の物語では、まだ「物語」として成熟していないせいか、心理描写というのがほとんど出てきません。でも、逆に言うと、それだけしか書いていなくても、当時の人は、会話などの様子から状況を想像出来ていたのかも知れません。和歌なども短い文から意図を読みとったり、男女が顔を合わせるときも御簾ごしだったり、相手の顔を見ないでいろいろ判断するわけですし。
ただ、ここでは、やはり様子が分かった方が読み進めやすいと思いますので、訳をするときに、ちょっとだけ「どんな雰囲気で言っているのか」という事を付け足してあります。原文では「~と言いました」程度にしか書いていないと思ってください。
また、古文では「会う」というと、そのまま直接「結婚」の意味を差すことがあるのですが、ここでは、現代の感覚で「単に会ってお話をする」という意味で「会う」を使っています。
<参考用原文>
これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう、
「我が子の仏、変化の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る心ざしおろかならず。翁の申さむこと、聞き給ひてむや」
と言へば、かぐや姫、
「何事をかのたまはむことは承らざらむ。変化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」
と言ふ。 翁、
「うれしくも、のたまふものかな」
と言ふ。
「翁、年七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす、女は男にあふことをす。その後なむ門広くもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせむ」
かぐや姫の言はく、
「なんでふさることかし侍らむ」
と言へば、
「変化の人といふとも、女の身持ち給へり。翁のあらむ限りは、かうてもいますがりなむかし。この人々の年月を経て、かうのみいましつつのたまふことを思ひ定めて、一人一人にあひ奉り給ひね」
と言へば、かぐや姫言はく、
「よくもあらぬかたちを、深き心も知らで、あだ心つきなば、後悔しきこともあるべきをと、思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らではあひがたしとなむ思ふ」
と言ふ。