ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

ついに月の都の使者が来る

 そんなことをしているうちに、夜もだんだん深まっていって、夜中の12時くらいになると、突然、家の周りが昼間よりも明るく光り輝き、まるで満月の明るさを10倍にしたくらい。その光で人の毛穴さえもハッキリ見えるようになったんだって。
 すると、空から人が雲に乗って降りてきて、地面から1メートル50センチくらいの高さの所に浮いたまま、ズラッと立ったまま並ぶと、家の外にいた人も中にいた人も、何か得体の知れないようなものに襲われたようになって、戦う気持ちが完全に失せてしまったんだって。そんな中、かろうじて、戦おうと弓矢を持った者もいたんだけど、手に力が入らず、体からも力が抜けていって、結局、家の壁にベタッと寄りかかって「ふぬけ」のようになってしまったり、それを何とか克服した勇敢な者が、力が入らないところを頑張って「何とか月の都の使者に矢が当たってくれ」と念じながら、とりあえず矢を放ってみたんだけど、矢が全然違う方向に飛んでいってしまい、結局、そういう勇敢な人でさえ戦う事が出来ず、みんな、気が抜けてボーっとした感じになりながら、お互い「こりゃ、どうしたことだ」と顔を見合わせていたんだって。

 また、そこに立ち並んでいた月の都の者たちは、衣装も今までに見たことがないような美しさで、天井が布張りの飛ぶ車を一つ持ってきていたんだけど、その飛ぶ車の中に王様らしき人がいて、家の方に向かって
「讃岐造、こちらに出てまいれ」
と言ったんだって。すると、その声を聞いて、今まで散々、勇ましい事を言っていた爺さんも、何だか、酔ったような気持ちになって、その場にひれ伏してしまったんだってさ。


 その様子を見て、その王様らしき人が
「讃岐造よ、そなたは以前、慎みを持って生活をし、僅かながらでも仏の功徳を積んでいたから、そなたを助けようと、幼いこの子を、わずかの間だけと思って遣わしたのに、最近では、金が手に入ったものだから、なんとまあ、急に態度を変えて贅沢三昧。そもそも、かぐや姫は、罪を犯したことから、その罰として、しばらくの間、卑しい根性をしたそなたの所に置いておいたのだ。けれども、かぐや姫は、もう、充分、罪を償った。それで、こうして迎えに来たのだ。そなたは、かぐや姫との別れを嘆き悲しんでいるが、そんな事をしても無駄なこと。早く、かぐや姫をここに連れて来なさい」
と言うと、爺さんは
「それは、おかしな事をおっしゃいます。私は、かぐや姫を育てて20年以上ですよ。決して、僅かの間とか、しばらくの間ではありません。ひょっとしたら、別の所にかぐや姫と名乗る他の人がいるのではないですか」
と、王様の言うことの上げ足を取って、さらには
「ここにいるかぐや姫は、今、重い病気にかかっていて、ここに出てくることは出来ません」
と、何とか誤魔化そうとすると、王様は、それには返事をせず、飛ぶ車を家の方に進めて、
「さあ、かぐや姫、こんな汚いところにいつまでいるつもりなのだ」
と言うと、なんとカギを掛けていたはずの玄関が人が開けた訳でもないのにスッと開いてしまい、そのとたん、家の中の戸という戸はすべて開いてしまって、婆さんが抱きかかえていたかぐや姫も隠れていたところから外に出てきてしまったんだよね。それで、婆さんも体に力が入らなくなっていたものだから、かぐや姫を捕まえることも出来ず、ただただ、泣いたままかぐや姫の姿を見ていることしか出来なかったんだって。

<ワンポイント解説>
 王様が言っている「汚い所」というのは、見た目の汚れている場所と言うよりも、性根の卑しい者たちのいる場所という意味で捉えた方がいいでしょう。
 ここで、解釈が分かれるのが原文での王様のセリフにある「身を変へたる」のところ。一般的には「今までの貧しい暮らしから変わってお金持ちになった」という解釈なのですが、前の部分に「功徳をつんで・・・」とあり、ここの部分を「今まで功徳をつんでいたのをお金が入ってきたら、その身をかえた」という解釈をしているものもあります。ここでは、月の都の人からは、最終的に翁も「卑しい人」とあつかわれていますから、後者の訳を採用しています。

<参考用原文>
 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり昼の明かさにも過ぎて光りたり、望月の明かさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて下り来て、地より五尺ばかり上がりたるほどに立ち連ねたり。
 内外なる人の心ども、物に襲はるるやうにて、相戦はむ心もなかりけり。からうして思ひ起こして、弓矢を取りたてむとすれども、手に力もなくなりて、なえかかりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへ行きければ、あれも戦はで、心地ただ痴れに痴れて、まもりあへり。

 立てる人どもは、装束の清らなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋さしたり。
 その中に王とおぼしき人、家に、
「造麻呂、まうで来」
と言ふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。
 言はく、
「なんぢ、幼き人、いささかなる功徳を翁つくりけるによりて、なんぢが助けにとて、片時のほどとて降ししを、そこらの年頃、そこらの金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かくいやしきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪のかぎり果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く、能はぬことなり。はや返し奉れ」
と言ふ。
 翁答へて申す、
かぐや姫を養ひ奉ること二十余年になりぬ。片時とのたまふにあやしくなり侍りぬ。また、異所にかぐや姫と申す人ぞ、おはしますらむ」
と言ふ。
「ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ」
と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、
「いざ、かぐや姫、きたなき所にいかでか久しくおはせむ」
と言ふ。
 立てこめたる所の戸、すなはち、ただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。嫗抱きてゐたるかぐや姫外に出でぬ。えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣き居り。