ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

竹取物語を訳してみて(あとがき)

 この竹取物語、原文の冒頭を見てもらえれば分かると思いますが「今は昔」で始まっていますよね。そして、冒頭が「今は昔」で始まるお話というと、有名なのはやはり「今昔物語」。この今昔物語は、書いてある内容がインドのお話をまとめた「天竺編」や日本のお話をまとめた「本朝編」というように分類されていて、実は、その「本朝篇」の31巻の33話に、この竹取物語の元になったと言われている話が入っているんです。

 それで、その「今昔物語」で書かれている内容と、ここで訳した竹取物語と比べてみると、「今昔物語」の話の中では、爺さんの「讃岐造」という姓は出てこないのですが「竹取の翁」という名前は出てきますし、「竹でいろいろな物を作って生計を立てている」というところは一緒だったりします。また、かぐや姫という名前は出てきませんし、欲しいと望んだものは「雷」「優曇華の花」「叩かなくても音が出る太鼓」の3つ。また、求婚者との細かなやり取りもなく、単に「たくさんの人がけがをしたり死んだりしました」でお終い。さらに、天皇と出会ってすぐ、かぐや姫に当たる女性が姿を消してしまうので「今昔物語」の方は、ここで訳した竹取物語よりも、かなり簡略されたお話になっています。
 そうなると、この「竹取物語」の作者はその「今昔物語」の話に、さらに内容を付け足して新たなお話を作っている訳ですから、元の話の中に出てこない、後から継ぎ足された部分に、この物語を書いた作者の「意図」が散りばめられているのではないか、という視点で訳を進めていくことにしました。
 そう考えると、やはり、「今昔物語」の中には出てこない「5人の求婚者がかぐや姫に懲らしめられる部分」と「月の住人からみると、地球は汚らわしい場所であるという部分」に作者の意図が込められているのだろうと解釈するのが自然だろうと思いましたし、それに、この時代、仏教が浸透していく中で「仏の教えにそぐわない者」が多く目について来たために、そういう人たちを戒めるため、そして、お話自体を読みやすくするために、ギャグっぽい感覚を取り入れて書かれたものなのではないか、とも感じたんです。ですから、その部分を中心に据えた訳にしようと心がけました。
 皆さんは、どのように感じましたか?

 そして、せっかくですから、これをきっかけに、勉強とは別の「普通のお話」として古典に触れていけると、もっと古典が楽しくなるのではないかと思います。ややギャグ傾向のお話として代表的なのは「落窪物語」と「とりかえばや物語」の2つ。
 「落窪物語」は、継母に理不尽ないじめを受けているお姫様がステキな殿方と出会って幸せになるというシンデレラストーリー。途中、エロ爺に言い寄られて、そこから逃げるために、そのエロ爺を寒空の下でずっと待たせていたら、その爺がウ○コをもらしちゃった、なんていうシーンが出てきます。
 「とりかえばや物語」は、同じ年の同じ日に生まれた、見た目がそっくりの女性的な性格の男の子と男性的な性格の女の子が性別を取り替えて過ごすというお話。今で言う「男女が入れ替わっちゃった」系のお話の元祖なんです。当然、性別がバレそうになって苦労するシーンが出てくるわけですよ。
 もしも、興味が持てそうなら、いきなり原文ではなくていいですから、マンガや訳本などで、単にお話として楽しんでみてください。