ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

石上麻呂足、ついにあの世へ

 それで、石上麻呂足、自分の取ってきたものが貝じゃないと分かって、酷く落ち込んで、完全に体から力が抜けてしまったんだって。おまけに、側にあった大きな箱の蓋を担架がわりにして、周りの人が運んでいこうとしたんだけど、麻呂足は全然体を動かすことが出来ずに、それに乗ることすら出来なくなっていたんだよね。それで、よくよく調べてみると、なんと腰の骨が折れていたんだって。


 それから、麻呂足は「こんな子供っぽい事をして、しまいにはこの有様。こんなこと、他の人には恥ずかしくて絶対に知られたくない」と思い、その事ばかり気にして過ごしているうちに、ついに病気になってしまって、その病気もどんどん悪化していってしまったのさ。そして、そんな重い病気になってからも、まだ「『貝を取れなかった』くらいならまだしも『失敗して落っこちて怪我をしてしまった』と言うことを知られて笑われるのは耐えられない」と、そのことばかり考えて「これを知られたら、普通に病気で死ぬよりも絶対情けない」と、ずっと気に病み続けていたんだって。

 すると、かぐや姫が、麻呂足が病気になっているということを聞いて、お見舞いに
子安貝なら、いつまでも待っていてもしょうがないと人から聞いたんだけど、ホント?)
と書いた和歌を送ったら、麻呂足、それを人に読んでもらって聞いた途端、頭をもたげて、人に筆と紙を持ってこさせると、
(貝はなかったけど、あなたから手紙をもらって苦労した甲斐がありました。でも、この手紙でも私の命は救えないでしょう)
と、体の自由が利かず苦しい思いをしながらも、ようやく手紙を書いてその手紙を部下に預けると、そのまま息が絶えてしまったんだってさ。そして、手紙を持っていった部下から、この話を聞いて、さすがのかぐや姫も「ちょっと可哀想だったわね」と思ったらしいよ。


 それで、石上麻呂足がかぐや姫から手紙をもらったことのように、ちょっと嬉しいことがあったりしたときは「甲斐あり」ってい言うようになったんだってさ。なんちゃって~。

<ワンポイント解説>
 当時は「恥」というのを大変恐れていて「恥をかくくらいなら、死を選ぶ」という感覚だったようです。戦国時代の武将なども「敵に首を取られてさらし者にされ、恥をかかされるくらいなら」と言って自害した者がいましたが、この「恥」の感覚は、後の時代にもずっと残っていきます。
 ですから、原文でも「恥よりも死を選ぶ」という内容は、何度も出来ますよね。


 また、担架がわりに使った箱の蓋というのは、原文では「唐櫃の蓋」。服や食器などを入れておく箱だったそうです。イメージとしては、お宝探しのテレビ番組で、倉や倉庫の中を探していると、古めかしい木で出来た大きな箱があったりしますよね。そんな感じのものと思ってください。

<参考用原文>
 貝にもあらずと見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃のふたの入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言は、わらはげたるわざして止むことを、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にて、いと弱くなり給ひにけり。貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを、日にそへて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥づかしくおぼえ給ふなりけり。

 これをかぐや姫聞きて、とぶらひにやる歌、
「年を経て 波立ち寄らぬ 住の江の まつかひなしと 聞くはまことか 」
とあるを読みて聞かす。いと弱き心に頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地にからうして書き給ふ。
「かひはかく ありけるものを わび果てて 死ぬる命を すくひやはせぬ 」
と書き果つる、絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、「少しあはれ」とおぼしけり。それよりなむ、少しうれしきことをば、「かひあり」とは言ひける。