ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

爺さん、5人にかぐや姫の言ったことを伝える

 それで、その日の夕方、いつものように5人が集まってきて、それぞれが、かぐや姫の気を引こうと、笛を吹いたり、和歌を詠んだり、歌を歌ったり、口笛を吹いたり、扇をならしてリズムを取ったりしているところへ、爺さんが出ていって、
「わざわざ、私たちのような身分の低い者のところへ、長い年月、ずっと通ってきてくださって、本当にありがとうございます」
と、前置きをし、
「実は、かぐや姫に『私も年老いて、今日とも明日とも知れぬ身だし、おまえを嫁に迎えたいと言って下さる高貴な身分の方たちもいらっしゃる訳だから、おまえも気持ちを決めて、どなたかに嫁いでその人にお仕えしなさい』と言ったところ、かぐや姫が申すには『どなたがいいのか決めかねております。ですから、愛情の証として私の望むプレゼントを見せてくれた方の所に嫁ぎたいと思います』と言うので、私も『それがいいだろう。それだと誰の恨みも買わないだろうし』と了承しましたが、そういう事でよろしいでしょうか?」
と言うと、集まった5人とも、早く決めたいという気持ちもあって
「それでいいのではないか」
とその場で、即、了解してしまったんだって。

<ワンポイント解説>
 ここでは、ちょっと古語の知識を書いておきますね。訳の中で「口笛」と書いていますが、これ原文では「うそ」。昔は「口笛を吹く」ことを「うそ吹く」とか「嘯く(うそぶく)」と言っていました。それが「何かあったときに、それを誤魔化す行為」として口笛を吹いたりしたので「都合の悪いことを誤魔化すこと」を「うそぶく」と言うようになったんです。これは「なんちゃって解説」ではなく、ホントの話。


 そして、この段落の冒頭で、みんなでいろいろな事をして気を引こうとしているのですが、個人的な見解としては、古事記に出てくる天照大神の「天の岩戸」の話のように、外で楽しそうに騒いでかぐや姫を中からおびき出そうとしているのではないかと考えています。天照大神はつい外の様子を覗いてしまいましたが、かぐや姫は全く動じなかったようですね。

<参考用原文>
 日暮るるほど、例の集まりぬ。あるいは笛を吹き、あるいは歌をうたひ、あるいは唱歌をし、あるいはうそ吹き、扇を鳴らしなどするに、翁出でて言はく、
「かたじけなくきたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり」
と申す。
「『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申せばことわりなり。『いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』と言へば、これよきことなり、人の御恨みもあるまじ」
と言ふ。五人の人々も、
「よきことなり」
と言へば、翁入りて言ふ。