ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

爺さん、かぐや姫に結婚を勧める

 それで、その様子を見ていて、さすがの爺さんも、この5人の事がだんだん可哀想になってきたし、それに、5人とも身分が高くて、結婚相手には申し分ないだろうと思って、かぐや姫
「私は、おまえの事を、家を裕福にしてくれた仏様のように思ったり、体から光が出ているものだから神様ようにも思ったり、なにせ普通の人間とはずいぶんとかけ離れている不思議な子だと思ったこともあったけれど、それでも、ただただ、自分の子供として愛情を持って一心に育てて来たつもりだ。だから、どうか、私のお願いを聞いてくれないか?」
と言うと、かぐや姫
「私の方こそ、そんな生い立ちとは少しも思わず、お爺さんを本当の親だと思って過ごしてきたのよ。だから、何なりとおっしゃって」
と、嬉しいことを言ってくれるので、いよいよ本題に。
「私も、もう70才を超えて、お迎えが来るのが今日、明日になるかもしれない。世の中は、男は女に、女は男に出会って結ばれ、そして、子供が産まれ、一族が繁栄していくものなんだよ。それを、どうして、結婚しようとしないんだい?」
と言うと、かぐや姫、間髪入れずに
「何で? どうして、結婚なんか、しなきゃならないの?」
と、それまでにも、何度も結婚の話をしてきたんだけど、このときも、全く取りあおうとしない様子。それでも、今回は、何とか説得しようと爺さんは頑張って、
「いくら、人間界の者では無いと言っても、女であることは間違いないだろう? 私が生きているうちは、こうやって何不自由無く生活できるけれども、もう、私もそんなに長くない。それに、こうやって一生懸命、おまえの所に通ってきている人がたくさんいるんだから、もうそろそろ、とりあえず会ってみるだけでもいいではないか」
と必死。でも、かぐや姫
「でも、私、そんなに美人じゃないし、私の事を真剣に愛してくれるかどうかなんて分からないでしょ? それに、変な浮気心を起こされて、他の女のところに行くような事があったら、後悔してもしきれ無いわ。いくら身分が高くったって、私への愛情が分からないような人になんて、会いたくないの」
と、まったく、とりつく島が無い返事だったんだって。

<ワンポイント解説>
 古文の難しさというと、その一つは「誰が話している内容なのか、ハッキリしないこと」と「やたら敬語表現が多く、まどろっこしいところ」。それで、ここでは、他の訳本でもよく使われている「敬語表現」を抜いて見ました。親子の会話ですから、現代風にするとこんな感じだと思います。原文ではお互い実の親子ではないという遠慮があるのか「はべる」とか「たてまつる」とか「いまそかる」という敬語表現が頻繁に出てくるのですが、ここでは、そういう事に惑わされず、話の流れや雰囲気を感じ取ってください。


 そして、ここでのかぐや姫のスタンスなのですが、どうやら、このときすでに、月の都の人たちとテレパシーで交信していたようで「地球の人間は、汚らわしい心の持ち主ばかりだ」と言われていたようです。ですから、そういう「卑しい心の持ち主とは、絶対、結婚しない」と固く心に決めていて、爺さんからの結婚話は、全く受け付けなかったようですね。


 さらに、この頃の物語では、まだ「物語」として成熟していないせいか、心理描写というのがほとんど出てきません。でも、逆に言うと、それだけしか書いていなくても、当時の人は、会話などの様子から状況を想像出来ていたのかも知れません。和歌なども短い文から意図を読みとったり、男女が顔を合わせるときも御簾ごしだったり、相手の顔を見ないでいろいろ判断するわけですし。
 ただ、ここでは、やはり様子が分かった方が読み進めやすいと思いますので、訳をするときに、ちょっとだけ「どんな雰囲気で言っているのか」という事を付け足してあります。原文では「~と言いました」程度にしか書いていないと思ってください。


 また、古文では「会う」というと、そのまま直接「結婚」の意味を差すことがあるのですが、ここでは、現代の感覚で「単に会ってお話をする」という意味で「会う」を使っています。

<参考用原文>
 これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう、
「我が子の仏、変化の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る心ざしおろかならず。翁の申さむこと、聞き給ひてむや」
と言へば、かぐや姫
「何事をかのたまはむことは承らざらむ。変化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」
と言ふ。 翁、
「うれしくも、のたまふものかな」
と言ふ。
「翁、年七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす、女は男にあふことをす。その後なむ門広くもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせむ」
 かぐや姫の言はく、
「なんでふさることかし侍らむ」
と言へば、
「変化の人といふとも、女の身持ち給へり。翁のあらむ限りは、かうてもいますがりなむかし。この人々の年月を経て、かうのみいましつつのたまふことを思ひ定めて、一人一人にあひ奉り給ひね」
と言へば、かぐや姫言はく、
「よくもあらぬかたちを、深き心も知らで、あだ心つきなば、後悔しきこともあるべきをと、思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らではあひがたしとなむ思ふ」
と言ふ。