ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

求婚者5人の根性

 とにかく、この5人っていうのが、今までも「ちょっと美人の女がいるよ」なんていう噂を聞くと、あっちの女こっちの女と、どこにでも顔を出していたっていう話なんだよね。そこに「特別美人だ」という噂のかぐや姫でしょ。そうなると、5人とも、どうしても会いっていう気持ちが高まり過ぎちゃって、ついには食べ物も喉を通らないくらい。それで、かぐや姫の家の近くまで行っては、周りをうろうろしたり、ジッと座って、いつまでも待っていたりしたんだってさ。


 それからね、ラブレターも当然書いたんだけど、いつまでも返事がないから「さすがにかぐや姫ほどの美人なら、普通の女の人に渡すようなレベルじゃ効果がないぞ」と思って、内容がだんだん凝っていって、いわゆる、当時の流行の「わび・さび」っていうやつを目一杯盛り込んだ「これぞ、最高のラブレター」というのを書いて送ったんだって。でも、結局、返事は無かったんだけどね。


 そんな状況だったにも関わらず、11月、12月の雪が降ったり地面が凍ったりしているときも、6月の暑さでグロッキーになっちゃうようなときも「そんなの関係ねえ」って、ずっと通ってきていたんだって。
 当然、竹取の爺さんにも「是非、かぐや姫を私の嫁にください」と地面に這いつくばって、仏様を拝むように手を摺り合わせてお願いしてみたんだけど、爺さんは「本当の私たちの子供ではないので、私の思ったとおりには、なかなかいかないんですよね~」と言って誤魔化して、そうやって月日が経っていったんだよね。


 だけど、この5人、家に帰った後、ずっとかぐや姫との事を妄想したり、お祈りをしたり、神社で願掛けをしたり、とにかく、絶対に諦めなかったんだって。どうやら、この5人は「今は、こうやって何も無いけれど、いずれは絶対、誰かの所に嫁に行くんだから、それまで粘れば大丈夫」っていう気持ちでいたみたい。それで、自分の愛情の深さをアピールして、自分の嫁にしようと、せっせと通っていたみたいだよ。

<ワンポイント解説>
 ここで、11月、12月や6月と出てきますが、実は、これ、旧暦なので、今の月とはちょっとずれています。正確な日数を出せないのは、当時使っていた暦は「太陰太陽暦」ですから、新月の日を各月の「1日」とするので、その年によって「1月1日」が違うから。ですから、11月・12月は冬の一番寒い時期、6月は夏の一番暑い時期を想像してください。


 そして、この5人に限ったことではないのですが、月の都の人たちから見ると、地球の人間は全て「醜い心の持ち主」という扱いになっています。この頃は、やはり中心となっているのは仏教の思想で、おそらく作者は「嘘をついたり、人を欺いたりしてはいけません」とか「暴力などの力に頼ってはいけません」「何でもお金、という考えを持ってはいけません」ということを諭す教訓話として、この物語を構成していたのではないかと思います。当然、地球の人間である竹取の爺さんも「ちょっとお金が手にはいると、すぐに贅沢をしてしまう」というダメな方の人間という扱いになっています。


 どこにでもあるような人生訓の本を読むより、こちらの話の方が本質を突いているような気がしますので、それぞれのどういう所がダメなのか、と言うことを考えながら読んでみるのも一興でしょう。

<参考用原文>
 世の中に多かる人をだに少しもかたちよしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、かひあるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず、わび歌など書きておこすれども、かひなしと思へど、霜月・師走の降りこほり、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり。
 この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、
「むすめを我に賜べ」
と伏し拝み、手をすりのたまへど、
「おのがなさぬ子なれば、心にも従はずなむある」
と言ひて、月日過ぐす。
 かかれば、この人々家に帰りて、ものを思ひ、祈りをし、願を立つ。思ひやむべくもあらず。「さりとも遂に男合はせざらむやは」と思ひて、頼みをかけたり。あながちに心ざしを見え歩く。