ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

阿倍御主人、火鼠の皮衣をゲット

 ところが、その小野房守が火鼠の皮衣を手に入れて戻って来るという連絡が入ったものだから、阿倍御主人は、使用人に「走るのが速い馬をあらかじめ筑紫の方に連れて行くように」と命じて迎えに行かせたんだよね。すると、普通は2週間近くかかるところを、小野房守は、その馬に乗って、わずか7日で京都に着いたんだって。


 そして、小野房守が持ってきた王慶の手紙を見てみると
「なんとか、ようやく、大勢の人を使って火鼠の皮衣を手に入れました。今も昔も、やはり、これを手に入れるのはたやすくなかったようですよ。昔、インドの偉いお坊さんが中国に持ってきたと言われている西の山寺に『火鼠の皮衣』がある、という話を聞いて、国の役人に話をつけて、なんとか買い取ってきた物です。その国の役人が『代金が足りないよ』と言ったので、私がとりあえず立て替えて置きました。それで、まだ50両ほど必要なのですが、こちらから行った船が中国にまた戻ってきますので、その船に持たせてください。もし、お金が無理なら、そのまま皮衣を私の方に戻してください」
と書いてあったので、
「何を言う、あと少しの金じゃないか」
と、お金の事には全く動じず、それよりも皮衣を送ってくれたことをすごく喜んで、
「まあ、それにしても、よく見つけて送ってくれたよな~」
と言って、中国の方に向かって、土下座するような格好で拝みだしたんだって。


 そして、その皮衣が入っている箱を見ると、すでに箱自体が、色んな種類の瑠璃で装飾されていて超豪華。おまけに、中から皮衣を取り出して見てみると全体は紺青色で、さらに毛皮の毛の先は金色に光り輝いていたんだって。服というよりは宝物と言った方がいいくらい、すっごく綺麗で、もう、これ以上の物は無いんじゃないかっていうくらい。だから「火に燃えない服」という特別な服というよりも、その装飾自体が、すでに、この世に二つと無い宝物のように思えたんだって。それで、阿部御主人は
「いや~、こんな綺麗な皮衣なら、かぐや姫が欲しがるのも無理ないわ~」
と言って、
「ホントに、ありがたい物だ」
と、皮衣を再び丁寧に箱にしまって、木の枝を付けて贈り物の体裁を整え、自分は、男化粧を丹念にして、
「ふふ~、これで、今日は、かぐやちゃんの所に、お泊まりだな」
と思って、和歌を書いて、その箱につけておいたんだって。その和歌には
(燃える恋心の火に当てられた皮衣だから、服自体は燃えずに、あなたの事を思って流した袖の涙だけが乾きました)
なんて書いてあったんだってさ。

<ワンポイント解説>
 当時の太宰府方面から京都までは、通常、14日の行程だったそうです。原文には「7日で着いた」ということしか書いていませんが、おそらく、当時の人は、その行程などを知っていたので「7日」というと、半分の日数で着いたということが分かっていたと思います。ただ、現在では、それが分からないため、比較として訳の中に「通常2週間」と入れてあります。


 また、ここでは、阿倍御主人が化粧をしますが、当時は男の人も化粧をしました。物語自体が平安時代に書かれていますから、当時の人たちは、平安貴族の化粧をイメージしたのではないでしょうか。例の、顔を真っ白く塗って、眉を描いて、頬紅を差してっていうやつですよ。

<参考用原文>
 かの唐土船来けり。小野房守まうで来て、まう上るといふことを聞きて、歩み疾うする馬をもちて走らせて、迎へさせ給ふ時に、馬に乗りて、筑紫よりただ七日にまうで来たる。
 文を見るに、言はく、
「火鼠の皮衣、からうして、人を出だして求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は、たやすく無きものなりけり。昔、かしこき天竺の聖、この国にもて渡りて侍りける、西の山寺にありと聞き及びて、朝廷に申して、からうして買ひ取りて奉る。価の金少なしと、国司、使ひに申ししかば、王慶が物加へて買ひたり。いま、金五十両賜はるべし。船の帰らむにつけて賜び送れ。もし金賜はぬものならば、かの衣の質、返したべ」
と言へることを見て、
「何仰す。いま金少しにこそあなれ。うれしくしておこせたるかな」
とて、唐土方に向かひて伏し拝み給ふ。
 この皮衣入れたる箱を見れば、種々のうるはしき瑠璃をいろへて作れり。皮衣を見れば紺青の色なり。毛の末には金の光し輝きたり。宝と見へ、うるはしきこと、並ぶべき物なし。火に焼けぬことよりも、けうらなることかぎりなし。
「うべ、かぐや姫、好もしがり給ふにこそありけれ」
とのたまひて、
「あなかしこ」
とて、箱に入れ給ひて、ものの枝に付けて、御身の化粧いといたくして、
「やがて泊まりなむものぞ」
とおぼして、歌詠み加へて持ちていましたり。その歌は、
「限りなき 思ひに焼けぬ 皮衣 袂乾きて 今日こそは着め 」
と言へり。