ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

爺さん、嘘の冒険談に感動

 そこで、山に船をもっと近づけて、2、3日、辺りの様子を見て回っていると、なんと天女の姿をした女の人が山の中から出てきたのさ。その人、銀で出来た入れ物で水を汲んで歩いていたから、私も船から下りて、その人に『この山は何という山ですか?』と聞いてみると『この山は蓬莱の山と申します』と答えたんだ。いや~、もう、この返事を聞いた途端、私も宙を舞うくらい嬉しくなっちゃってね~。ついつい踊り出しちゃったんだけど、そのとき、その女の人が『そういうあなたは誰ですか?』と聞いて来たから、私も名乗ったついでに、その女の人の名前を聞いたのさ。すると、その人は『私の名は、右官の瑠璃と申します』と言って、そのまま、また、山の中へ入っていったんだよ。


 それで、ここが蓬莱山というのは、もう、間違いないので、さあ、枝を取ってこようと思って山を登ろうとしたんだけど、これがね~、斜面が険しくて、全然登れないのさ。それで、登れそうな場所を探して、斜面の周りをずっと見て回っていると、見たことの無い木の花が咲いていて、山からは金色の川や銀色の川、瑠璃色の川が流れている場所に出てね、その川には、いろいろな宝石が散りばめられた橋がかかっていたんだよね。そして、よくよく見てみると、その橋の周りには、光輝く木が何本も立っていたのさ。本当は、この蓬莱の玉の枝よりも綺麗な枝が、まだまだ、たくさんあったんだけど、かぐや姫が言ったのと同じ物を持っていかないとダメだろうと思ってさ、それで、この枝を持ってきたんだ。


 山は、本当に、たとえようも無いくらい素晴らしい所だったんだけど、ただね、やっと姫のおっしゃっていた枝が手に入ったものだから、私も落ち着かなくなっちゃってね、すぐに船に乗ったら、一生懸命神様にお祈りしていたせいか、都合良く追い風が吹いてくれて、結局、400日くらいで難波に着いちゃったのさ。それで、やっと昨日京都に着いたってわけ。おまけに、とにかく姫にこの枝を見せたい一心で、着替えもせず、家にも寄らないで、服が濡れたままこっちに来ちゃったから、ご覧の通り、ほら、ここに来るまでに乾いた服が、なんかゴワゴワしてるのさ。あっはっは~」
と、旅の顛末を語ると、爺さんも頷き、頷き、その話に感動しちゃって、
(姫が嫁に行って私の元から去ってしまうのは、まるで、姫の居なくなった空の竹筒をみるような気持ちです)
なんて和歌まで詠んじゃったわけ。すると、庫持の皇子も、その和歌を聞いて、爺さんがかぐや姫を嫁に出すことを心に決めたと思って、
「いや、いや、やっと今日で、日頃、ずっと悩んでいたことが、決着したっていうことですな~」
と言って
(今まで、大変な思いをして潮と涙で濡らした袖が今日乾いた訳だから、今までの苦労もずっかり忘れちゃったよ)
なんて、爺さんに和歌で返したんだって。

<ワンポイント解説>
 ここで問題になっているのは蓬莱山にいた女の人の名前。ここでは「右官の瑠璃」としましたが、原文では
「我が名はうかんるり」
と書かれていて、区切り方によっては
「我が名、ホウカンルリ」
とも
「我が名は、ウカンルリ」
とも読めるため、竹取物語中、最大のナゾとされているところなんだそうです。


 それで、当時の人は、おそらく、蓬莱山に関する物語や伝承を皆知っていて、名前の区切り方もすぐに把握できたのではないかと考えています。そして、そうやって把握できるということは、その物語や伝承の中に、蓬莱山にいる女性が、山に生えている植物のお世話をするのに、銀の入れ物で水をすくって、それを木々や草花に与えていたという内容が出てくるのだろうと思います。

 となると、そこから先は、もう勝手に想像するしかないのですが、自分としては「大きな山全体の管理をするのに、一人だけではできないだろう」ということで、山の右半分は瑠璃、左半分は○○という人が管理している」という想定で、右半分の担当を「右官」、左半分の担当を「左官」にして、ここに出てきた人に「右官の瑠璃」という名前を当ててみました。


 ちなみに、川端康成本では、ひらがなで「ほうかんるり」。田辺聖子本だと「うかんるり」。星新一本ではカタカナで「ホウカンルリ」。ここだけは、誰がやっても、どうしようもないようですね。


 また、一応「ほうかんるり」には「宝嵌瑠璃」と漢字が当てられていて、意味は「宝を散りばめた瑠璃」になるのですが「瑠璃」自体が宝石(一般的にはラピスラズリ)ですから、それに宝を散りばめたというのも変ですし、宝物の名前がそのまま人名になるのも、ちょっとおかしい、と思ったので、訳では「うかんるり」の方を採用しました。

 ちなみに爺さんが詠んだ和歌の(娘が嫁に行って・・・)の訳は、一般的には「野山で竹を取っているときにも苦労はありましたが、庫持皇子の冒険と比べると、私の苦労なんて全然たいしたことありませんね」という、庫持皇子を称える訳になっています。ただ、自分の和歌を見たときの第一印象が「今までかぐや姫が育ってきた竹の中が空っぽになってしまう」という意味と感じたので、一般的な訳とは違う訳にしています。ひょっとしたら「かぐや姫が結婚していなくなってしまったら、竹の中から黄金が出てこなくなって、竹の中が空っぽになってしまうのではないか」という「お金の心配をしている」という感覚も込められているのかも知れませんね。

<参考用原文>
 山のめぐりをさしめぐらして、二、三日ばかり見歩くに、天人のよそほひしたる女、山の中より出て来て、銀の金椀を持ちて、水を汲み歩く。これを見て、船より下りて、
「この山の名を何とか申す」
と問ふ。女、答へて言はく、
「これは蓬莱の山なり」
と答ふ。これを聞くに、うれしきこと限りなし。この女、
「かくのたまふは誰ぞ」
と問ふ。
「我が名はうかんるり」
と言ひて、ふと、山の中に入りぬ。

その山、見るに、さらに登るべきやうなし。その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。金(こがね)・銀(しろかね)・瑠璃色の水、山より流れ出でたり。それには、いろいろの玉の橋渡せり。その辺りに照り輝く木ども立てり。その中に、この、取りて持ちてまうで来たりしは、いと悪かりしかども、のたまひしに違はましかばと、この花を折りてまうで来たるなり。

山は限りなく面白し。世にたとふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、船に乗りて、追ひ風吹きて、四百余日になむまうで来にし。大願力(だいがんりき)にや、難波より、昨日なむ都にまうで来つる。さらに潮に濡れたる衣をだに脱ぎ更へなでなむ、こちまうで来つる』とのたまへば、翁、聞きて、うちなげきて詠める、
「呉竹(くれたけ)の よよの竹取 野山にも さやはわびしき 節をのみ見し」
これを皇子聞きて、『ここらの日頃、思ひわび侍りつる心は、今日なむ落ち居ぬる』とのたまひて、返し、
「わが袂(たもと) 今日乾ければ わびしさの 千種の数も 忘られぬべし」
とのたまふ