ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

庫持皇子、蓬莱の玉の枝を持ってくる

 一方、庫持皇子は策略家だったから、役所の方には「筑紫まで湯治に行ってきます」と休暇を願い出て、かぐや姫の方には「今から、蓬莱の玉の枝を取りに行ってきます」と手紙を書いて人に持たせ、九州の方に向かっていったのさ。でも、付き人達が全員見送りに来てしまって、いつまでもついて来るので「これじゃ、計画通りに事が進まなくなるぞ」と思い、船に乗る難波の港に来たときに「湯治はお忍びで行こうと思うから、見送りはこの辺までにしてくれないか」と皆に言って、一緒に行くのは数人にして、残りの人たちとは、そこで別れるようにしたんだって。


 そうやって、周りの人たちみんなに「九州に出かけた」と思わせておいて、3日くらい経ったら、またこっそり難波に戻ってきたのさ。そして、前もって話をつけておいた人間国宝級の6人の鍛冶職人を呼んで、簡単に人が近寄れないような所に家を建てて、さらには、作業する音が外に漏れないようにと、火をおこしたり、金槌を使ったりする場所の周りを三重に囲って、そこで職人達に作業をしてもらったんだって。


 また、庫持皇子自身も、自分も見つからないようにと職人たちと一緒にそこに籠もって、天皇からいただいた領地の16カ所すべてを、功徳をつもうと神様に寄進したんだ。それで、本当は火を使う場所の側に煙を出す穴を開けなければならなかったんだけど、そこから勢い良く煙を出すと人に見つかってしまうかも知れないから、神様に寄進した16と同じだけ、家の上の方に穴をあけて、そこから少しずつ煙を出すようにしながら、天の上にいる神様に自分の思いが伝わるようにして、蓬莱の玉の枝を作ったんだってさ。


 すると、かぐや姫が言った通りの物が出来たので、人目を忍んで、その月の最後の日に難波を出発。途中で、家に
「船で帰ってきたから、具合が悪い」
と伝えて、すごく苦しいふりをして待っていると、迎えの者が大勢やって来て、蓬莱の玉の枝を大きめの木箱に入れて、その上から布をかけて持っていったんだけど、それが、いつの間にか「蓬莱の玉の枝」ではなく「優曇華うどんげ)」に変わってしまって、「皇子様は三千年に1度しか咲かないと言われている優曇華の花を持ち帰ったぞ」と、町中、大騒ぎになってしまったんだって。
 すると、その話がかぐや姫の所まで伝わってしまって、その噂を聞いたかぐや姫は、
「あら、まずいわ。私、このままじゃ結婚しなきゃならなくなっちゃうかも」
と、胸がつぶれるくらい、ガックリしてしまったんだってさ。

<ワンポイント解説>
 この部分で問題になるのは「天皇からいただいた~」のところ。実は、ここ、低本によって書いている内容が違ったり、そのまま訳すと話の内容が変だったりして、決まった訳が無いところなんです。原文は「知らせ給ひたるかぎり16カ所を かみにくどをあけて」です。


 それで「知る」には「物事を知る」という意味以外に「領地を貰う」「領地を管理する」という意味があり、そこから「領地」の事を「知行」なんて言ったりするのですが、ここでは「領地」という意味にした方が、通りがいいということと、「かみにくどをあけて」は、そのまま「上に穴を開けて」の意味と「神に功徳をあげて」の掛詞として訳しました。当時は本を書き写していたため、写し間違えなどもあったりしますし、また、わざと作者が他の意味にも取れるように書いたのかも知れません。ここでは、とりあえず、このように訳していますが、物によっては、全く違う訳になっているものもあります。訳本などをお持ちの方は、それと比べてみてください。


 また、訳では「火を使う場所」と書いていますが、原文では「かまど(竈)」。鍛冶職人は、いわゆる「金属加工職人」ですから、金属を火でドロドロにして、金槌でトントンたたくという作業をするので、強い火力が必要ですし、音もうるさいですよね。それを誤魔化せるように、いろいろと手配をしているわけす。
 また、ここでは「うわさ話」で「蓬莱の玉の枝」が「優曇華」に変わってしまっています。こういうところで「噂なんて、聞き伝えている途中で別の物にすり替わったり、嘘になったりするものだ」という事を言いたかったのではないかと考えています。結局、うわさ話なんていうのも、信用してはいけません、という教訓ですよね。

<参考用原文>
 庫持の皇子は、心たばかりある人にて、朝廷には、
「筑紫の国に湯あみにまからむ」
とて暇申して、かぐや姫の家には、
「玉の枝取りになむまかる」
と言はせて下り給ふに、仕うまつるべき人々、皆難波まで御送りしける。皇子、
「いと忍びて」
とのたまはせて、人もあまた率ておはしまさず、近う仕うまつる限りして出で給ひ、御送りの人々、見奉り送りて帰りぬ。
「おはしましぬ」
と人には見え給ひて、三日ばかりありて漕ぎ帰り給ひぬ。かねてこと皆仰せたりければ、その時一つの宝なりける鍛冶工匠六人を召し取りて、たはやすく人寄り来まじき家を作りて、かまどを三重にしこめて、工匠らを入れ給ひつつ、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひたる限り十六所を、かみにくどをあけて、玉の枝を作り給ふ。かぐや姫のたまふやうに違はず、作り出でつ。いとかしこくたばかりて、難波にみそかに持ていでぬ。
「舟に乗りて帰り来にけり」
と殿に告げやりて、いといたく苦しがりたるさまして居給へり。迎へに人多く参りたり。玉の枝をば長櫃に入れて、物覆ひて持ちて参る。いつか聞きけむ、
「庫持の皇子は優曇華の花持ちて上り給へり」
とののしりけり。これを、かぐや姫聞きて、
「我は、皇子に負けぬべし」
と、胸うちつぶれて思ひけり。