ツンデレかぐやちゃん(竹取物語)

竹取物語を現代風に訳してみました

おじいさんとかぐや姫の出会い

 むか~し、むかし、あるところに「竹取の爺さん」という人がいたんだって。野山に入っていって、竹を取ってきてはいろんな物を作って、自分で使ったり売ったりしていたんだ。もちろん、竹細工などを売ったところで、そんなに収入が多いわけではなく、つつましく暮らしていたんだけど、まだ庶民だと名前も満足に無い人が多かった時代に、この爺さんは、暮らしぶりとは似合わない「讃岐造(さぬきのみやっこ)」と、地方の有力者が使うような名前を名乗っていたんだって。


 それで、あるとき、いつものように竹を取りに行くと、なんと根本が光っている竹があって「あれ? 何だろう?」と思って近寄ってよくよく見てみると、実際には竹の節の中が光っていて、その中に、大きさが10センチくらいしかない小さな赤ちゃんが可愛らしく座っていたんだって。
 それを見た爺さんは「毎朝毎晩、おいらが見に来る竹の中にいたってことは、おいらの子供になる運命の子に間違いない!」な~んて思って、そっと両手ですくうように持ち上げると、そのまま家に連れて帰って、婆さんに「この子を育ててくれ」って預けたんだ。


 爺さん、婆さんは、元々子供がいなかったので、その子がすっごく可愛いと思ったし、何せ、生まれたばかりの子と言っても、10センチくらいしか無いわけだから、普通の子よりもずっと小さいでしょ。それで、自分の作った竹の籠の中に入れて育てることにしたんだってさ。


<ワンポイント解説>
 竹取物語の冒頭は、こんな感じ。途中でいろいろな説明を入れる都合上、昔話を読み聞かせしているような口調にしてみました。
 だいたいは皆さんが知っている内容だと思うのですが、ここでの注目は「爺さんの名前」。原文では「名をば讃岐造となむいいける」なんですが「なむ~ける」と係り結びを使っているのは「なんと、こんな名前を名乗っていたんですよ」くらいの感覚。わざわざ、こんなふうに強調しているということは、おそらく、通常の庶民の名前とはちょっと違っている、というところを浮き彫りにしたかったのだと解釈しています。それで説明を訳文の中に入れてみました。


 そして、この「造(みやっこ)」というのは、社会科で習う「氏姓制度」の「姓(かばね)」に当たっていて、「讃岐」という国名が入って「造」がつくと、歴史で習う「国造(くにのみやっこ)」。今で言う「知事」のようなイメージでしょうか。その国の貢ぎ物をまとめて朝廷に献上する役を担っていたということです。ですから、本来であれば、もっと羽振りがいいはずなのですが、特に威張ったりもせず、婆さんと仲良く、つつましく暮らしていた、ということで、この部分が、後の「月の都の王」が話す「功徳を積んだ」部分になるのではないでしょうか。ですから、この「名前の意味を知っておく」ということが物語を読むのに、結構「重要な部分ではないか」と思っています。


 さらに、もう少し細かな話になりますが、この竹取物語は、794年にスタートした平安時代の初期に出来たと言われています。そして、701年の大宝律令より少し前の684年に「八色の姓(やくさのかばね)」というものが決められていて、そこで「造」は「姓」から外され、それ以降は「姓」として使われていません。ですから、平安当時の人は「造」という姓を使っていることで「どのくらいの昔の話なのか」と言うことが分かったのではないかと思います。今で言うと「副将軍」とか「岡っ引き」というと「おっ、江戸の時代劇だな」と分かるような感覚に近かったのではないでしょうか。


<参考用原文>
 今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうて居たり。翁言ふやう、
「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」
とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。美しきことかぎりなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。